もっと以前から手掛けておけば良いと思われること(技術的な事柄)を、あくせくと追い上げて、今日も一日が過ぎようとしている。時代環境の悪化するスピードは驚くほどに速いが、とにかく時間の過ぎ行く速度に追いまくられている気配が濃厚だ。
まるで、米国映画に出てくるような、巨大津波か何かのうねりに追われて逃げ惑っているような錯覚に陥ったりしないでもない。逃げ切れなという感覚が充満しながらも、必死で逃げざるを得ない心境は、今を生きる多くの人々に共通することなのかもしれない。
まるで、米国映画に出てくるような、巨大津波か何かのうねりに追われて逃げ惑っているような錯覚に陥ったりしないでもない。逃げ切れなという感覚が充満しながらも、必死で逃げざるを得ない心境は、今を生きる多くの人々に共通することなのかもしれない。
決して悲観的にはなりたくないものだとは戒めている。が、逆に、事態の深刻さが社会的な広がりできちんと認識され切ってはいないように思えてならない。深刻な事実が共通認識として成り立ったからといって、急に何かが変わるわけでもなかろう。が、それにしても、事実をはぐらかしたり、覆い隠したり、そして高を括り過ぎる風潮がいたたまれない。もちろん、そんなことをしているのは、真っ先に犠牲を強いられた庶民であろうはずがない。これまでもそうであったように、そして今後もそうした対応で乗り切れるに違いないと思い込んでいる "特権的" な者たちであろう。
言うまでもなく彼らが常套手段として駆使するのが、多種多用なマス・メディアであるわけだが、もはや完璧に商業主義と保身で凝り固まったマス・メディアは、社会環境が悪化すればするほどに強者たちに擦り寄って我が身を守ろうとするのであろう。
現在、メディア環境でのみ、わけのわからない "悠長な空気" が漂っているのは、決して理由のないことではないと思われる...... (2009.04.09)
言うまでもなく彼らが常套手段として駆使するのが、多種多用なマス・メディアであるわけだが、もはや完璧に商業主義と保身で凝り固まったマス・メディアは、社会環境が悪化すればするほどに強者たちに擦り寄って我が身を守ろうとするのであろう。
現在、メディア環境でのみ、わけのわからない "悠長な空気" が漂っているのは、決して理由のないことではないと思われる...... (2009.04.09)
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