事務所のあるビルには、デイ・サービスの会社も入っている。そんなこともあり、最近はクルマ椅子に座るお年寄りを頻繁に目にするようになった。
それだけでもなく、町を歩くと、あちこちでそうした光景を見かけることがめずらしくなくなった。いよいよ "高齢化" とそれに伴う問題の波が足元にまで迫っている実感を拭い切れなくなった。
年齢的な関係からいってやむを得ない現実であるが、今、団塊世代は、その親世代がさまざまな "高齢化障害" を抱える時期となっている。80代後半という年齢は、むしろ、何一つ身体やその他に異常がないという方がめずらしいのではなかろうか。
自分のおふくろも、その例にもれず、種々の成人病を抱えて病院通いをしている。幸い、いまのところ安定はしているようである。ただし、いつ何があっても不思議とは言えない状態なのだろうと見つめている。
家内の実家の方の母親もまったく同様である。いや、幾分年齢が上だということもあり、より心配をする度合いが高いとも言えそうである。
昨日も、そんな義母の姉妹のひとりが苦しい闘病生活に終止符を打って永眠された。家内のことをいつも見守り、可愛がってくれていた叔母だっただけに、家内は大きな落胆と悲しみに落ち込んでいる。
それだけでもなく、町を歩くと、あちこちでそうした光景を見かけることがめずらしくなくなった。いよいよ "高齢化" とそれに伴う問題の波が足元にまで迫っている実感を拭い切れなくなった。
年齢的な関係からいってやむを得ない現実であるが、今、団塊世代は、その親世代がさまざまな "高齢化障害" を抱える時期となっている。80代後半という年齢は、むしろ、何一つ身体やその他に異常がないという方がめずらしいのではなかろうか。
自分のおふくろも、その例にもれず、種々の成人病を抱えて病院通いをしている。幸い、いまのところ安定はしているようである。ただし、いつ何があっても不思議とは言えない状態なのだろうと見つめている。
家内の実家の方の母親もまったく同様である。いや、幾分年齢が上だということもあり、より心配をする度合いが高いとも言えそうである。
昨日も、そんな義母の姉妹のひとりが苦しい闘病生活に終止符を打って永眠された。家内のことをいつも見守り、可愛がってくれていた叔母だっただけに、家内は大きな落胆と悲しみに落ち込んでいる。
ところが、つい先ほど電話連絡があったのだが、そうした悲報を耳にした実家のお義母さんが、少なからぬショックを受けたようで容態が悪化し、急遽、家内は実家へと向かうことになった。家内の心配はいかばかりかと案ずる。
こうした痛ましい状況を、何とか "通過して" しまってほしいものだとつくづく思っている。
それにしても、自分自身も含めてであるが、現時点で人々が遭遇している状況、環境はまことに悲惨だとしか言いようがない。荒波に翻弄される板切れや木の葉のごとくだとたとえられそうである。
少なくとも、経済情勢が安定していれば、多少とも人々の立ち向かい方が違うのかもしれないが、なんせ、よりにもよって稀に見る経済不安が人々から余裕というものを完璧に奪い去ってしまっている。それも、この経済危機が、想像を超えた規模の "人為的" 悪行、 "悪の意思" によってもたらされたわけだから、人間社会への幻滅をも引き寄せたのだと言える。昨日の話の連続でいうならば、まさに動物以下の水準の "強気" 姿勢の連中が、全世界の優しい人々を地獄的惨状に道連れにしたと表現できそうである。
遭遇するさまざまな苦境の解決には、何よりも "聡明さ" が必須であるに違いない。が、今ひとつどうしてもなければならないのは、 "弱気" を "勇気" へと変換するに違いない "何か" なのであろう。それはきっと、こうしたオールラウンドな "背水の陣" 的環境が雄弁に教えてくれそうだ...... (2009.04.20)
こうした痛ましい状況を、何とか "通過して" しまってほしいものだとつくづく思っている。
それにしても、自分自身も含めてであるが、現時点で人々が遭遇している状況、環境はまことに悲惨だとしか言いようがない。荒波に翻弄される板切れや木の葉のごとくだとたとえられそうである。
少なくとも、経済情勢が安定していれば、多少とも人々の立ち向かい方が違うのかもしれないが、なんせ、よりにもよって稀に見る経済不安が人々から余裕というものを完璧に奪い去ってしまっている。それも、この経済危機が、想像を超えた規模の "人為的" 悪行、 "悪の意思" によってもたらされたわけだから、人間社会への幻滅をも引き寄せたのだと言える。昨日の話の連続でいうならば、まさに動物以下の水準の "強気" 姿勢の連中が、全世界の優しい人々を地獄的惨状に道連れにしたと表現できそうである。
遭遇するさまざまな苦境の解決には、何よりも "聡明さ" が必須であるに違いない。が、今ひとつどうしてもなければならないのは、 "弱気" を "勇気" へと変換するに違いない "何か" なのであろう。それはきっと、こうしたオールラウンドな "背水の陣" 的環境が雄弁に教えてくれそうだ...... (2009.04.20)
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