この連休、とうとう一日も休暇をとらずに作業に明け暮れた。おまけに、今日は、普段よりも "一時間の前倒し" 出勤となった。
昨夜は、酔いに任せて早寝をしたためか、今朝は気持ちよく目覚めたのである。とにかく今の季節は、たとえ曇天であろうと明るくなるのが早い。そんなことで、もう一眠りしたい気持ちもなかったわけではないが起床した。
"一時間の前倒し" 出勤で気づいた点は、当たり前であるが、午前中が長い。そう感じられた。
通常、8時半、9時からの正午までは、あっと言う間に過ぎてしまう。ところが今日は、作業に取り掛かってから、まだ9時半だ、とかまだ10時過ぎだとかと知らされ、 "一時間の前倒し" のスタートがこんなにも違うものかと気づかされたのである。
昨夜は、酔いに任せて早寝をしたためか、今朝は気持ちよく目覚めたのである。とにかく今の季節は、たとえ曇天であろうと明るくなるのが早い。そんなことで、もう一眠りしたい気持ちもなかったわけではないが起床した。
"一時間の前倒し" 出勤で気づいた点は、当たり前であるが、午前中が長い。そう感じられた。
通常、8時半、9時からの正午までは、あっと言う間に過ぎてしまう。ところが今日は、作業に取り掛かってから、まだ9時半だ、とかまだ10時過ぎだとかと知らされ、 "一時間の前倒し" のスタートがこんなにも違うものかと気づかされたのである。
予定作業がスムーズに進捗したことも原因であったかもしれない。手を染めている作業に、障害物が次第に減ってきたような印象がある。と同時に、理解度がにわかに上昇してきた感もある。いよいよ調子が上がってきたということなのであろうか。
今日も、この間、据え置きにしてきたちょっとした難問に立ち向かったところ、多少の試行錯誤はあったものの、大体が "読みどおり" の展開で推移し、さほどの梃子摺り感はなくて済んだ。
よく、チンパンジーやオウムなどの動物が、人間から課題を与えられると、最初のうちはかわいそうなくらい的外れな行動をするものだが、やがて、状況の仕組みなどを察知し、そしてそれに対処するコツを学んでゆく、といった画面を観る。
通常、知能のある動物たちは親や先輩たちの行動を食い入るように見つめてものを学ぶようである。それが大半かと思われる。
そんな中で、前述のチンパンジーやオウムなどは "試行錯誤" の行動とそのプロセスで得る情報の解釈とによって、状況に対する最適な行動を選んでゆく。
人が考えて行動することとの間には違いはあるのだろうが、頭脳を使って次第に、対象、状況、環境に見合った行動へと絞り込んでゆく姿は見つめるに十分値する。
人か動物かを超えて、脳内部でも "ニューロン" が刺激伝達の回路探しで猛烈な "試行錯誤" をしているらしい。そして、最適な "伝達経路" を探り当てる。それが、行動に結びつくようだが、決してこのプロセスは脳内部での一人舞台なんぞではなく、行動が形作られる身体各部からの絶え間ない情報が脳にレポートされることによって成り立つと考えられている。
つまり、脳内部での "ニューロン" 活動の "試行錯誤" にとって、身体を使った "試行錯誤" は不可欠だと考えられる。こうした経験の積み重ねが、次第に "試行錯誤" 自体の濃度を高めたり水準を上げたりしつつ、脳活動のスムーズ化を図ってゆくのであろう。
こんなことを考えてみると、 "試行錯誤" というニュアンスとしては何となく "ダサイ" 行動こそが、意外と手堅いもの、 "習熟" を形成するのだと実感できそうだ。
ところが、この経済危機状況は、一方で何よりも貴重な "習熟" (熟練者)たちを反故にしつつ、また他方で、じっくりと "習熟" を目指そうとする者たちの腰の据え方に激しく揺さぶりをかけている。一部には、知識情報やそれに基づくITなどの機能さえあれば、何とでもなると見なす向きもありそうだが、そんな抽象的な視点で未来は描けないような気がしている...... (2009.05.06)
今日も、この間、据え置きにしてきたちょっとした難問に立ち向かったところ、多少の試行錯誤はあったものの、大体が "読みどおり" の展開で推移し、さほどの梃子摺り感はなくて済んだ。
よく、チンパンジーやオウムなどの動物が、人間から課題を与えられると、最初のうちはかわいそうなくらい的外れな行動をするものだが、やがて、状況の仕組みなどを察知し、そしてそれに対処するコツを学んでゆく、といった画面を観る。
通常、知能のある動物たちは親や先輩たちの行動を食い入るように見つめてものを学ぶようである。それが大半かと思われる。
そんな中で、前述のチンパンジーやオウムなどは "試行錯誤" の行動とそのプロセスで得る情報の解釈とによって、状況に対する最適な行動を選んでゆく。
人が考えて行動することとの間には違いはあるのだろうが、頭脳を使って次第に、対象、状況、環境に見合った行動へと絞り込んでゆく姿は見つめるに十分値する。
人か動物かを超えて、脳内部でも "ニューロン" が刺激伝達の回路探しで猛烈な "試行錯誤" をしているらしい。そして、最適な "伝達経路" を探り当てる。それが、行動に結びつくようだが、決してこのプロセスは脳内部での一人舞台なんぞではなく、行動が形作られる身体各部からの絶え間ない情報が脳にレポートされることによって成り立つと考えられている。
つまり、脳内部での "ニューロン" 活動の "試行錯誤" にとって、身体を使った "試行錯誤" は不可欠だと考えられる。こうした経験の積み重ねが、次第に "試行錯誤" 自体の濃度を高めたり水準を上げたりしつつ、脳活動のスムーズ化を図ってゆくのであろう。
こんなことを考えてみると、 "試行錯誤" というニュアンスとしては何となく "ダサイ" 行動こそが、意外と手堅いもの、 "習熟" を形成するのだと実感できそうだ。
ところが、この経済危機状況は、一方で何よりも貴重な "習熟" (熟練者)たちを反故にしつつ、また他方で、じっくりと "習熟" を目指そうとする者たちの腰の据え方に激しく揺さぶりをかけている。一部には、知識情報やそれに基づくITなどの機能さえあれば、何とでもなると見なす向きもありそうだが、そんな抽象的な視点で未来は描けないような気がしている...... (2009.05.06)
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