余程の資産家ではない限り、こうした時代環境では、誰もが "稼ぎ" について真剣に考えるはずだ。
たとえ現在、幸いにも会社組織に属していて "正" 社員という立場にあっても、その "正" という字の重みは限りなく風化しているに違いなかろう。
となれば、いざという場合に備えて、何がしかの "稼ぎ" につながるような "技量" や "資格" のことに、 "泥縄" 的に関心を向けるのももっともな話となる。
たとえ現在、幸いにも会社組織に属していて "正" 社員という立場にあっても、その "正" という字の重みは限りなく風化しているに違いなかろう。
となれば、いざという場合に備えて、何がしかの "稼ぎ" につながるような "技量" や "資格" のことに、 "泥縄" 的に関心を向けるのももっともな話となる。
ところが、そうした場合に留意すべきことは、言うまでもなく、その "技量" や "資格" がどれほどに有効であるかということになりそうだ。
皮肉なもので、景気全体が良い場合には、わずかな程度の "技量" や "資格" でも十分に報酬に結びついたものであった。だが、景気全体がここまで "危機的" な状況になると、事情は激変している。結局は、そうしたスキルアップをビジネスとする業者を活気づかせるだけで終わってしまうこともなりかねない。
まあ、そうした業者自体が現在のような状況ではヒーヒー泣いているという噂も聞くところではあるが......。
以前にも書いた覚えがあるが、プロとして "稼ぎ" にありつくためには、運不運ももちろん付いて回るものだが、やはり、 "技量" なりが "抜群" の水準でなければならないであろう。
"経験" ももちろん重要である。だが、何せ現在は "変化" に溢れた時代環境である。 "経験" と言えば聞こえはいいものの、要するに、 "経験" とは "過去" からの遺産でしかないとも言える。
まして、世の中全体はそうした "過去" からの遺産の集大成によってこんなふうな状態に至ったわけであろう。事ビジネスに関しては、幾分なりとも "過去" からの遺産に対してクールに接して丁度良いのではないかとさえ感じている。
で、何が言いたいのかと言えば、 "険しさ" や "苦痛" をこそ重要な基準とすべきではないか、ということである。ラクして、スイスイとアプローチできるような対象は、決してプロとしての "稼ぎ" になんか結びつくはずがない、という当たり前の事実である。
偉そうなことを言っているようだが、これが実感である。
こう考えようとしている。比較的ラクにクリアできそうな場合は、自己満足的にほくそえんだりしないことだ。ああ、こんな調子ならば、やたらに競争が激しくなってとても "稼ぎ" にはなりそうもないな......、と。
そして、やたらに "険しさ" や "苦痛" を覚え始めたならば、嘆いたり諦めたりする前に、よしよし、この位に "難易度" があり "障壁が高い" のであれば、弱腰のコンペチターたちは降りるに違いあるまい、ここを突破できれば多少なりとも "稼ぎ" にありつけるかもしれないぞ......、とそう考えるべきなのだと思っている。
何だか "反・時代的" なことを言っているのかもしれないが、まだしも余裕がある時期に、ラクに慣れ切った生活を "解毒" して、 "苦痛" を嫌がらない処世術に "おいでおいで" をしておくべきなのかもしれない。残念ながら、これからの時代環境は、誰にとっても決してラクではない状況へと移行しつつあるのだから...... (2009.05.16)
皮肉なもので、景気全体が良い場合には、わずかな程度の "技量" や "資格" でも十分に報酬に結びついたものであった。だが、景気全体がここまで "危機的" な状況になると、事情は激変している。結局は、そうしたスキルアップをビジネスとする業者を活気づかせるだけで終わってしまうこともなりかねない。
まあ、そうした業者自体が現在のような状況ではヒーヒー泣いているという噂も聞くところではあるが......。
以前にも書いた覚えがあるが、プロとして "稼ぎ" にありつくためには、運不運ももちろん付いて回るものだが、やはり、 "技量" なりが "抜群" の水準でなければならないであろう。
"経験" ももちろん重要である。だが、何せ現在は "変化" に溢れた時代環境である。 "経験" と言えば聞こえはいいものの、要するに、 "経験" とは "過去" からの遺産でしかないとも言える。
まして、世の中全体はそうした "過去" からの遺産の集大成によってこんなふうな状態に至ったわけであろう。事ビジネスに関しては、幾分なりとも "過去" からの遺産に対してクールに接して丁度良いのではないかとさえ感じている。
で、何が言いたいのかと言えば、 "険しさ" や "苦痛" をこそ重要な基準とすべきではないか、ということである。ラクして、スイスイとアプローチできるような対象は、決してプロとしての "稼ぎ" になんか結びつくはずがない、という当たり前の事実である。
偉そうなことを言っているようだが、これが実感である。
こう考えようとしている。比較的ラクにクリアできそうな場合は、自己満足的にほくそえんだりしないことだ。ああ、こんな調子ならば、やたらに競争が激しくなってとても "稼ぎ" にはなりそうもないな......、と。
そして、やたらに "険しさ" や "苦痛" を覚え始めたならば、嘆いたり諦めたりする前に、よしよし、この位に "難易度" があり "障壁が高い" のであれば、弱腰のコンペチターたちは降りるに違いあるまい、ここを突破できれば多少なりとも "稼ぎ" にありつけるかもしれないぞ......、とそう考えるべきなのだと思っている。
何だか "反・時代的" なことを言っているのかもしれないが、まだしも余裕がある時期に、ラクに慣れ切った生活を "解毒" して、 "苦痛" を嫌がらない処世術に "おいでおいで" をしておくべきなのかもしれない。残念ながら、これからの時代環境は、誰にとっても決してラクではない状況へと移行しつつあるのだから...... (2009.05.16)
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