"プラス思考(ポジティブ思考)" というコンセプトがあったかと思う。
物事には裏表があり、プラス面とマイナス面とが表裏一体となっている。そこで、物事を見たり考えたりする際に、プラス面をしっかりと評価しながら考えて行こうというのがそのコンセプトの特徴ではなかったかと思う。
それはそれで前向きな発想であるに違いない。今でも、然るべきジャンルにおいては、 "プラス思考" で邁進するのが正しいであろう。とかく "マイナス面" に目を奪われると、行動が鈍ることが否めないからだ。 "プラス面" を見ながら、虫がとにかく明るい方向へと飛ぶように行動を起こすことに、概ね間違いはないようだ。
ただし、ことわざには、 "飛んで火に入る夏の虫" という逆説的な表現もある。つまり、 "明るい方向" が常にターゲットだとは言い切れない......。
そんな皮肉な視点で "プラス思考(ポジティブ思考)" というものを見直す時、環境によっては、あながちそれが絶対的に良いとは言えないのかもしれないぞ、と感じたりするのである。
たとえば、最近よく言われるようになったが、 "鬱" 病のような人に対して不用意に "じゃあ、がんばってね" なぞというような "プラス思考" 的エールを送ってはいけない、とかというように。
考えてみれば当然のことのような気がする。 "明るく、前向きな面" だけを強調していれば何か正解を言っているようなつもりでいたのはやはりおかしい。
物事には裏表があり、プラス面とマイナス面とが表裏一体となっている。そこで、物事を見たり考えたりする際に、プラス面をしっかりと評価しながら考えて行こうというのがそのコンセプトの特徴ではなかったかと思う。
それはそれで前向きな発想であるに違いない。今でも、然るべきジャンルにおいては、 "プラス思考" で邁進するのが正しいであろう。とかく "マイナス面" に目を奪われると、行動が鈍ることが否めないからだ。 "プラス面" を見ながら、虫がとにかく明るい方向へと飛ぶように行動を起こすことに、概ね間違いはないようだ。
ただし、ことわざには、 "飛んで火に入る夏の虫" という逆説的な表現もある。つまり、 "明るい方向" が常にターゲットだとは言い切れない......。
そんな皮肉な視点で "プラス思考(ポジティブ思考)" というものを見直す時、環境によっては、あながちそれが絶対的に良いとは言えないのかもしれないぞ、と感じたりするのである。
たとえば、最近よく言われるようになったが、 "鬱" 病のような人に対して不用意に "じゃあ、がんばってね" なぞというような "プラス思考" 的エールを送ってはいけない、とかというように。
考えてみれば当然のことのような気がする。 "明るく、前向きな面" だけを強調していれば何か正解を言っているようなつもりでいたのはやはりおかしい。
今自分が関心を寄せているのは、 "プラス思考(ポジティブ思考)" という発想は、時代の(経済成長)傾向としての "右肩上がり" というものと強い相関を持つものではなかったか、という点なのである。
"右肩上がり" の経済成長期、あるいはそれを可能ならしめた生産人口増大期にあっては、概して、物事は時間経過で良い方向へと向かって行った。だから、 "行け行けドンドン" とまでは言わないにしても、 "プラス面" に体重を掛けてひたすら行動することが概して正しいと思われたのだろう。
ただ、時代全体が "右肩上がり" ではない特徴を示し始めたり、あるいは "右肩下がり" とさえ言わなければならない状況となると、事態は一変する。単に、経済現象に直結する事柄だけではなく、人々の発想の仕方さえ変えなければならなくなってはいまいか。
そのひとつが、 "プラス思考(ポジティブ思考)" というわけなのである。
と言っても、物事の "マイナス面(ネガティブ面)" ばかりに拘泥すべきだとまでは言うつもりはない。そんなことをして、みんながウジウジしたって始まるものではない。
いま少し、能天気過ぎる "プラス思考(ポジティブ思考)" を解毒して、物事の "陰に潜む事柄" に注目してよいのではないかと思うのである。
言うまでもなく、その代表は、 "CO 2" 増大のような環境問題である。また、それと関連したモノ(資源)の消費のあり方、さらに言えば、あらゆる存在の "有限性" であり、その中には個々人の生命や人類の存続でさえ無限ではない、ということになる。
ここまで考え及ぶと、 "プラス思考(ポジティブ思考)" という持ち上げ方の表現がいかにも愚かしい響きだと感じないわけにはいかない。
"プラス" だ "マイナス" だという極端な表現を避けて、いわば "リアル思考" とでも言っておけば差し障りがなさそうである...... (2009.06.05)
"右肩上がり" の経済成長期、あるいはそれを可能ならしめた生産人口増大期にあっては、概して、物事は時間経過で良い方向へと向かって行った。だから、 "行け行けドンドン" とまでは言わないにしても、 "プラス面" に体重を掛けてひたすら行動することが概して正しいと思われたのだろう。
ただ、時代全体が "右肩上がり" ではない特徴を示し始めたり、あるいは "右肩下がり" とさえ言わなければならない状況となると、事態は一変する。単に、経済現象に直結する事柄だけではなく、人々の発想の仕方さえ変えなければならなくなってはいまいか。
そのひとつが、 "プラス思考(ポジティブ思考)" というわけなのである。
と言っても、物事の "マイナス面(ネガティブ面)" ばかりに拘泥すべきだとまでは言うつもりはない。そんなことをして、みんながウジウジしたって始まるものではない。
いま少し、能天気過ぎる "プラス思考(ポジティブ思考)" を解毒して、物事の "陰に潜む事柄" に注目してよいのではないかと思うのである。
言うまでもなく、その代表は、 "CO 2" 増大のような環境問題である。また、それと関連したモノ(資源)の消費のあり方、さらに言えば、あらゆる存在の "有限性" であり、その中には個々人の生命や人類の存続でさえ無限ではない、ということになる。
ここまで考え及ぶと、 "プラス思考(ポジティブ思考)" という持ち上げ方の表現がいかにも愚かしい響きだと感じないわけにはいかない。
"プラス" だ "マイナス" だという極端な表現を避けて、いわば "リアル思考" とでも言っておけば差し障りがなさそうである...... (2009.06.05)
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