何が正しい、間違っている、と言ったところで何も始まらない。そんな時代環境が大間違いなのではあろうが......。
先日、TV報道番組で、昨今の "お弁当" の価格基準が、一頃の "ワンコイン、500円" から、 "300円" へとシフトし始めているとあった。いくら何でも、そいつは間違っていると直感した。こんな無責任な風潮は、商店を潰すだけだからだ。
ちなみに、事務所の近所に、何と "280円弁当" がある。日頃から安い定食を商っている大衆食堂、今どきこうした名称が通用するのかどうかは知らないが、そのお店が売り出している。散歩がてらに覗いてみると、ポスターには写真が貼り付けてあり、ライスの横に三種類ほどのフライが盛り付けてある。まずまずの体裁である。
その脇の断り書きには「おかずは店にお任せください。」とあった。そりゃそうだろう。客は、 "280円" であーだこーだと言うべきではなかろう。
しかし、昼時に、その店の前で行列ができているという光景はあまり見かけない。
これが、人通りの多いところであったり、高校や大学の傍であったりすればまた別の光景が見られるのかもしれない。だが、なんせ人通りが少ない通りなのである。
先日、TV報道番組で、昨今の "お弁当" の価格基準が、一頃の "ワンコイン、500円" から、 "300円" へとシフトし始めているとあった。いくら何でも、そいつは間違っていると直感した。こんな無責任な風潮は、商店を潰すだけだからだ。
ちなみに、事務所の近所に、何と "280円弁当" がある。日頃から安い定食を商っている大衆食堂、今どきこうした名称が通用するのかどうかは知らないが、そのお店が売り出している。散歩がてらに覗いてみると、ポスターには写真が貼り付けてあり、ライスの横に三種類ほどのフライが盛り付けてある。まずまずの体裁である。
その脇の断り書きには「おかずは店にお任せください。」とあった。そりゃそうだろう。客は、 "280円" であーだこーだと言うべきではなかろう。
しかし、昼時に、その店の前で行列ができているという光景はあまり見かけない。
これが、人通りの多いところであったり、高校や大学の傍であったりすればまた別の光景が見られるのかもしれない。だが、なんせ人通りが少ない通りなのである。
事務所の近辺には、どういうものか涙ぐましくがんばる商店が少なくない。いや、これが現在の全国的な状況のような気がしないでもない。
以前にも書いたが、そんな商店のひとつに、 "安納芋" の "壷焼き" といういかにもおいしそうな焼き芋を商っているお店がある。事務所の窓から見える距離にあるため、おじちゃん、がんばれよ、と密かに激励している。
"安納芋" といえば "種子島" が産地であり、おそらくは白髪頭を布で被っているそのおじちゃんも、そちら方面の出身なのであろう。根性がありそうな、いかにもがんばり屋といった風情なのだ。
そのお店は、電飾看板を掲げていて、 "安納芋" の美味しさを謳うとともに "年中無休" とまでアピールしている。
ところが、今日はじめて "臨時休業" の貼り紙をしていた。 "安納芋" の仕入れの都合か何かでの休みのようではあるが、ちょっと気になったものである。
つまり、世の風潮は、 "弱い者いじめの度が過ぎる" ような気配が濃厚ではなかろうか。上記の二店舗のおやじさんたちにしても、生真面目過ぎるほどにがんばっている。身近で見ているから、それは保証付きである。しかし、どうも報われてはいない。
何年か前に、丁寧な手作りパンを焼いていた若夫婦らしきパン屋さんも、奮闘努力の甲斐もなく立ち去った。
小売店舗が、弱い者いじめ的に、真っ先に追い込まれてゆく時代環境なのである。街というのは、地付きの小売店舗によって精彩を帯びるものではなかろうか。大店舗の地域参入で住民に安い商品が提供されたり、一定程度賑わうのは悪いことではない。
がしかし、その陰で地付きの小売店舗が立ち行かなくなったり、シャッター通りと化したりしていたのでは、街の性格が確実に変わってしまう。
その上、大店舗は資本の論理万能のため、採算が悪くなればいち早く立ち退くのが定石であろう。これで街は "壊滅" 状態にもなり得る。
こうしたアナーキーな風潮は、小売業に限ったことではなかろう。ほとんど大半の業種がこうした渦中に巻き込まれている。
そして、その先鞭をつけるのが、無慈悲で、一面バカバカしい "価格競争" であることは歴然としている。バカバカしいというのは、どうしたって中身の劣化を招くことは必定だからである。
確かに、そうした "価格競争" に対抗すべく "サービス内容の特化" などを強力に打ち出せない小規模経営側の落ち度もあるにはある。
もう一度言えば、何が正しい、間違っている、と言ったところで何も始まらない。
しかし、大が小を呑むような当然のことしか起こり得なくなっている時代とは "何とつまらない" ものであろうか。 "小が大を呑む" という逆説を信じ続けたいものだ...... (2009.06.07)
以前にも書いたが、そんな商店のひとつに、 "安納芋" の "壷焼き" といういかにもおいしそうな焼き芋を商っているお店がある。事務所の窓から見える距離にあるため、おじちゃん、がんばれよ、と密かに激励している。
"安納芋" といえば "種子島" が産地であり、おそらくは白髪頭を布で被っているそのおじちゃんも、そちら方面の出身なのであろう。根性がありそうな、いかにもがんばり屋といった風情なのだ。
そのお店は、電飾看板を掲げていて、 "安納芋" の美味しさを謳うとともに "年中無休" とまでアピールしている。
ところが、今日はじめて "臨時休業" の貼り紙をしていた。 "安納芋" の仕入れの都合か何かでの休みのようではあるが、ちょっと気になったものである。
つまり、世の風潮は、 "弱い者いじめの度が過ぎる" ような気配が濃厚ではなかろうか。上記の二店舗のおやじさんたちにしても、生真面目過ぎるほどにがんばっている。身近で見ているから、それは保証付きである。しかし、どうも報われてはいない。
何年か前に、丁寧な手作りパンを焼いていた若夫婦らしきパン屋さんも、奮闘努力の甲斐もなく立ち去った。
小売店舗が、弱い者いじめ的に、真っ先に追い込まれてゆく時代環境なのである。街というのは、地付きの小売店舗によって精彩を帯びるものではなかろうか。大店舗の地域参入で住民に安い商品が提供されたり、一定程度賑わうのは悪いことではない。
がしかし、その陰で地付きの小売店舗が立ち行かなくなったり、シャッター通りと化したりしていたのでは、街の性格が確実に変わってしまう。
その上、大店舗は資本の論理万能のため、採算が悪くなればいち早く立ち退くのが定石であろう。これで街は "壊滅" 状態にもなり得る。
こうしたアナーキーな風潮は、小売業に限ったことではなかろう。ほとんど大半の業種がこうした渦中に巻き込まれている。
そして、その先鞭をつけるのが、無慈悲で、一面バカバカしい "価格競争" であることは歴然としている。バカバカしいというのは、どうしたって中身の劣化を招くことは必定だからである。
確かに、そうした "価格競争" に対抗すべく "サービス内容の特化" などを強力に打ち出せない小規模経営側の落ち度もあるにはある。
もう一度言えば、何が正しい、間違っている、と言ったところで何も始まらない。
しかし、大が小を呑むような当然のことしか起こり得なくなっている時代とは "何とつまらない" ものであろうか。 "小が大を呑む" という逆説を信じ続けたいものだ...... (2009.06.07)
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