ぱっとしない天候だからか、気分もぱっとしない。こんな天候が、 "梅雨" という名で始まるのかと思えば興醒めである。
昨夜は比較的十分な睡眠をとったはずなのだが、むしろそれが良くないのであろうか。妙に、気だるい感じで包まれている。きっと、身体の方が、そろそろ "疲労回復モード" の到来だと受けとめたのかもしれない。今までにも経験しているが、張り詰めた時期に不用意に長い睡眠をとったりするとその翌日はダラ~とした感触に襲われるものだ。やはり、身体に対しては "規則正しく" を実践してやるべきなのであろう。
昨今はなかなか "感動" という経験をしなくなったようだが、先日、全盲の若手ピアニストが世界的なコンテストで優勝した報道にはやや感動した。
生まれつきの盲目だそうで、言葉を覚えるよりも先に、二歳の時だかに与えられた玩具のピアノを使いこなし始めたらしい。その時の写真がTVで紹介されたのを見た時、なぜだかジーンとしたものであった。
彼にとっては、ピアノという道具が、自分が環境世界とコミュニケーションし、環境世界を認識して行くかけがえのない通路、架け橋だったのであろう。ご両親がそうした貴重な道具を与えたことにも感激したが、そのチャンスをしっかりと掴んで放さなかった彼の聡明さにも感動したのである。
もちろん、譜面を見ることはできない。点字の譜面もあるらしいが、彼の場合は、結局耳で聴いた音楽を記憶しつつ、それを正確に再現する方法をとってきたという。まさに信じ難い話だ。まして自分のような音痴の場合は、小学校の時に "和音" を聞き分けられずに苦しんで以来、音の達人たちにはとにかくシャッポを脱いできた。
そんなふうだから、膨大な譜面の曲を "丸暗記" して再現する、しかも、聴衆を感動させる演奏をまで実現してしまうというのは、 "神業" だとしか思えないのだ。
こう書くと、彼の "超人" 的な技量に感動しているかに聞こえそうだが、むしろ自分の感動の対象は、月並みかもしれないが、人間という命の存在が秘めた "能力の無限性" であったような気がしている。彼と彼を支え続けた周囲の人間たちが証明した、人間の "能力の無限性" に甚(いた)く感動できたのであった...... (2009.06.11)
昨夜は比較的十分な睡眠をとったはずなのだが、むしろそれが良くないのであろうか。妙に、気だるい感じで包まれている。きっと、身体の方が、そろそろ "疲労回復モード" の到来だと受けとめたのかもしれない。今までにも経験しているが、張り詰めた時期に不用意に長い睡眠をとったりするとその翌日はダラ~とした感触に襲われるものだ。やはり、身体に対しては "規則正しく" を実践してやるべきなのであろう。
昨今はなかなか "感動" という経験をしなくなったようだが、先日、全盲の若手ピアニストが世界的なコンテストで優勝した報道にはやや感動した。
生まれつきの盲目だそうで、言葉を覚えるよりも先に、二歳の時だかに与えられた玩具のピアノを使いこなし始めたらしい。その時の写真がTVで紹介されたのを見た時、なぜだかジーンとしたものであった。
彼にとっては、ピアノという道具が、自分が環境世界とコミュニケーションし、環境世界を認識して行くかけがえのない通路、架け橋だったのであろう。ご両親がそうした貴重な道具を与えたことにも感激したが、そのチャンスをしっかりと掴んで放さなかった彼の聡明さにも感動したのである。
もちろん、譜面を見ることはできない。点字の譜面もあるらしいが、彼の場合は、結局耳で聴いた音楽を記憶しつつ、それを正確に再現する方法をとってきたという。まさに信じ難い話だ。まして自分のような音痴の場合は、小学校の時に "和音" を聞き分けられずに苦しんで以来、音の達人たちにはとにかくシャッポを脱いできた。
そんなふうだから、膨大な譜面の曲を "丸暗記" して再現する、しかも、聴衆を感動させる演奏をまで実現してしまうというのは、 "神業" だとしか思えないのだ。
こう書くと、彼の "超人" 的な技量に感動しているかに聞こえそうだが、むしろ自分の感動の対象は、月並みかもしれないが、人間という命の存在が秘めた "能力の無限性" であったような気がしている。彼と彼を支え続けた周囲の人間たちが証明した、人間の "能力の無限性" に甚(いた)く感動できたのであった...... (2009.06.11)
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