3、4才の男の子を連れての買い物であろうか、若い母親とそのお母さんらしき三人連れであった。急ぐ用があるようでもなくぶらぶらと歩いている。
男の子はやんちゃ盛りで、おとなしく付き添うはずもなく、何か遊ぶネタはないものかときょろきょろと辺りを物色するように歩く。
マンションらしき建物の玄関に来た時、男の子は、何かを見つけて二人を背にして小走りとなる。
クルマの駐車を防ぐものか、その時には無かったがチェーンを引っ掛けるポールが何本か立っていた。背丈が自分と同じ位だからか、そして、チェーンを引っ掛けるための直径4、5センチほどの輪っかが両側に、そうちょうど男の子の耳に当たる付近についていたためか、男の子は、それを "怪獣" か "悪者" か何かに見立てたのであろう。
そのポールを敵と見立てたつもりで、両手を空手チョップふうに振りかざして、「アチョー、アチョー」とか叫びながら挑む格好をし始めたのだった。
「痛くなるからやめなさいよ」
と母親が、その母親との会話の途中で言葉を投げる。
男の子はやんちゃ盛りで、おとなしく付き添うはずもなく、何か遊ぶネタはないものかときょろきょろと辺りを物色するように歩く。
マンションらしき建物の玄関に来た時、男の子は、何かを見つけて二人を背にして小走りとなる。
クルマの駐車を防ぐものか、その時には無かったがチェーンを引っ掛けるポールが何本か立っていた。背丈が自分と同じ位だからか、そして、チェーンを引っ掛けるための直径4、5センチほどの輪っかが両側に、そうちょうど男の子の耳に当たる付近についていたためか、男の子は、それを "怪獣" か "悪者" か何かに見立てたのであろう。
そのポールを敵と見立てたつもりで、両手を空手チョップふうに振りかざして、「アチョー、アチョー」とか叫びながら挑む格好をし始めたのだった。
「痛くなるからやめなさいよ」
と母親が、その母親との会話の途中で言葉を投げる。
男の子は、どうやら一本目のポールはやっつけたようで、すかさず隣のポールへと "攻撃" の矛先を変える。またまた、「アチョー、アチョー」が始まった。
母親たち二人は、放っておきましょ、と言わぬばかりに、歩を止めない。
すると、男の子は、次第に母親たちと距離ができてしまったことに気がつき、やや追うようにしながら一番端のポールにたどり着き、それでもまだ遊び足りないのか、今度は、ポールの両側に付いている輪っかの "両耳" をそれぞれの小さな手で掴み、ポールを両またで挟み込むようにしてぶら下がり始めた。
よくは聞こえないが、「どうだ、まいったか」とかと叫んでいる様子であった。
が、そうしながらも、母親たちの姿はどんどん遠くなっているのが心配になったようで、ぶら下がりながら叫ぶのだった。
「ママたち、先に行っちゃ~、ダメ~」
と。そして、ようやくもはやこれまでと諦めたようで、 "ママたち" に置いてきぼりにされじとばかりに追っかけて行った......。
散歩の途中で目にしたとある子どものありふれた光景である。
こうした光景は見ていて楽しい。そして、何ということなく残る。取り立てて意味のあることでもないので、こうした日誌に書くのにもやや抵抗感がないわけではない。
あえて書いたのは、こうした "取り立てて意味のあることでもない" 事柄が自然な調子で書けるようになりたい、という思いがあるからかもしれない。
何か、分別の範疇で意味がありそうなことを書くことにいささか "食傷気味" となっているのかもしれない。あたかも "スナップ写真" として撮られたような光景を、面倒でも文章化したくなったのであろう...... (2009.06.20)
母親たち二人は、放っておきましょ、と言わぬばかりに、歩を止めない。
すると、男の子は、次第に母親たちと距離ができてしまったことに気がつき、やや追うようにしながら一番端のポールにたどり着き、それでもまだ遊び足りないのか、今度は、ポールの両側に付いている輪っかの "両耳" をそれぞれの小さな手で掴み、ポールを両またで挟み込むようにしてぶら下がり始めた。
よくは聞こえないが、「どうだ、まいったか」とかと叫んでいる様子であった。
が、そうしながらも、母親たちの姿はどんどん遠くなっているのが心配になったようで、ぶら下がりながら叫ぶのだった。
「ママたち、先に行っちゃ~、ダメ~」
と。そして、ようやくもはやこれまでと諦めたようで、 "ママたち" に置いてきぼりにされじとばかりに追っかけて行った......。
散歩の途中で目にしたとある子どものありふれた光景である。
こうした光景は見ていて楽しい。そして、何ということなく残る。取り立てて意味のあることでもないので、こうした日誌に書くのにもやや抵抗感がないわけではない。
あえて書いたのは、こうした "取り立てて意味のあることでもない" 事柄が自然な調子で書けるようになりたい、という思いがあるからかもしれない。
何か、分別の範疇で意味がありそうなことを書くことにいささか "食傷気味" となっているのかもしれない。あたかも "スナップ写真" として撮られたような光景を、面倒でも文章化したくなったのであろう...... (2009.06.20)
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