気の利いた "アイデア" の教材だなぁ、と思った。
昼食のために事務所から出た際、近所の幼稚園の窓際に可愛い展示物があるのを見つけたのだった。隣同士の教室二部屋の窓にそれらはあった。
10センチ四方くらいであろうか、画用紙のようなもので作られた "Tシャツ" を模した紙片が、まるで万国旗のように、いや実は "洗濯物" としてズラリと "干されて" いたのである。窓の端から端に渡され垂れ下がった "洗濯干しロープ" に、20枚ほどの模擬 "Tシャツ" が "干されて" いたのだ。それも、それぞれが2~3センチほどの小さな "洗濯ばさみ" 二つでロープに固定されており、いかにも洗濯物を干しているという雰囲気が出ていた。
外側からは "背中" 部分の白地しか見えない。が、教室側からは見えるはずの前面部分にはたぶん、園児たちが思い思いに工夫した "デザイン" が描かれているのであろう。自分がデザインした "Tシャツ" が "干されて" いるのに、チラリチラリと視線をやる園児たちの表情が彷彿としてくるようだ。
ほんのちょっとした "アイデア" ではある。だが、きっと子どもたちも意表を衝かれて引き込まれていたのではなかろうか。部外者の大人が、窓の外から見て "あれっ" と思わされたくらいだから、面白いことには目が肥えている今の子どもたちにとっても、そこそこ関心を引いたのではなかったかと想像する。
こういう類の "アイデア" 、何でもないことなのだが、それでいて人の心をちょいと揺さぶるような "アイデア" というもの、そんなものが自分は好きである。
昼食のために事務所から出た際、近所の幼稚園の窓際に可愛い展示物があるのを見つけたのだった。隣同士の教室二部屋の窓にそれらはあった。
10センチ四方くらいであろうか、画用紙のようなもので作られた "Tシャツ" を模した紙片が、まるで万国旗のように、いや実は "洗濯物" としてズラリと "干されて" いたのである。窓の端から端に渡され垂れ下がった "洗濯干しロープ" に、20枚ほどの模擬 "Tシャツ" が "干されて" いたのだ。それも、それぞれが2~3センチほどの小さな "洗濯ばさみ" 二つでロープに固定されており、いかにも洗濯物を干しているという雰囲気が出ていた。
外側からは "背中" 部分の白地しか見えない。が、教室側からは見えるはずの前面部分にはたぶん、園児たちが思い思いに工夫した "デザイン" が描かれているのであろう。自分がデザインした "Tシャツ" が "干されて" いるのに、チラリチラリと視線をやる園児たちの表情が彷彿としてくるようだ。
ほんのちょっとした "アイデア" ではある。だが、きっと子どもたちも意表を衝かれて引き込まれていたのではなかろうか。部外者の大人が、窓の外から見て "あれっ" と思わされたくらいだから、面白いことには目が肥えている今の子どもたちにとっても、そこそこ関心を引いたのではなかったかと想像する。
こういう類の "アイデア" 、何でもないことなのだが、それでいて人の心をちょいと揺さぶるような "アイデア" というもの、そんなものが自分は好きである。
時々、こんな厳しい経済環境や、余裕というものが剥がされたような時代環境では、気分にゆとりなんぞ生まれないから、ありきたりで杓子定規なことしかできない......、と決めてかかっている人たちに遭遇する。
しかし、そうしたものじゃないように思える。
上記のような "アイデア" を発揮することと似たものとして、 "冗談"や"ジョーク" がありそうだ。そして、もともとそれらは、状況が苦しかったり、切迫していたりする時に "バランス" をとる機能として生まれたのだとも聞く。決して、あり余ったゆとりのゆえに発せられるのが "冗談"や"ジョーク" ではないというのである。
とすれば、気の利いた "アイデア" もまた、環境の余裕などに関係なく、いや環境が厳しい時であればこそ、最もおカネの掛からない "知恵とセンス" を大いに発揮すべきではないかと思ったりする。
ひょっとしたら、現代のわれわれは、巨額を投じて重厚長大のサプライズ案件を示されるよりも、ノーコストでありながらジワリと迫ってくるような新規性に飢えているのかもしれない...... (2009.07.03)
しかし、そうしたものじゃないように思える。
上記のような "アイデア" を発揮することと似たものとして、 "冗談"や"ジョーク" がありそうだ。そして、もともとそれらは、状況が苦しかったり、切迫していたりする時に "バランス" をとる機能として生まれたのだとも聞く。決して、あり余ったゆとりのゆえに発せられるのが "冗談"や"ジョーク" ではないというのである。
とすれば、気の利いた "アイデア" もまた、環境の余裕などに関係なく、いや環境が厳しい時であればこそ、最もおカネの掛からない "知恵とセンス" を大いに発揮すべきではないかと思ったりする。
ひょっとしたら、現代のわれわれは、巨額を投じて重厚長大のサプライズ案件を示されるよりも、ノーコストでありながらジワリと迫ってくるような新規性に飢えているのかもしれない...... (2009.07.03)
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