じっとしていて "熱中症" になっても不思議ではないような暑さの中、今日は、幌付き1トントラックをレンタル予約していたため、この間、整理をして備えたモノの搬送処分のために大汗をかくことになってしまった。
朝9時から始動して、つい先ほど4時過ぎまで、モノの重さと暑さとにがっぷり四つ相撲を繰り広げた。何回かの搬送で処理した総重量は優に1トンは超えていたものと思われる。
とにかく "熱中症" になることだけには注意をして、清涼飲料水などをこれまでになく頻繁に口にした。
久々に、一日目一杯の重労働をしたことになるが、大学生時代に体験した鉄工関連のアルバイトのことを思い出したのは、身体の正直さゆえなのかもしれない。
ところで話は変わるが、自分が身体を目一杯使って働いたからというわけでもないが、今現在、仕事というものの "ボトルネック" は何か、ということを考えさせられた。
とあることを依頼していて、なるほどなぁ、と痛感したまでで、客観的な根拠は度外視している。
その "ボトルネック" とは、仕事というものを恙無く成し遂げるためには、 "現場の事情" をいかにリアルに掌握するか、の一点に掛かっていそうだという点なのである。
とかく、不景気な景気状況では、製品やサービスへの "需要" というものにばかり目をむけがちであろう。極端に言えば、 "需要" がない! という "仮想敵" とばかり闘おうとするのかもしれない。
朝9時から始動して、つい先ほど4時過ぎまで、モノの重さと暑さとにがっぷり四つ相撲を繰り広げた。何回かの搬送で処理した総重量は優に1トンは超えていたものと思われる。
とにかく "熱中症" になることだけには注意をして、清涼飲料水などをこれまでになく頻繁に口にした。
久々に、一日目一杯の重労働をしたことになるが、大学生時代に体験した鉄工関連のアルバイトのことを思い出したのは、身体の正直さゆえなのかもしれない。
ところで話は変わるが、自分が身体を目一杯使って働いたからというわけでもないが、今現在、仕事というものの "ボトルネック" は何か、ということを考えさせられた。
とあることを依頼していて、なるほどなぁ、と痛感したまでで、客観的な根拠は度外視している。
その "ボトルネック" とは、仕事というものを恙無く成し遂げるためには、 "現場の事情" をいかにリアルに掌握するか、の一点に掛かっていそうだという点なのである。
とかく、不景気な景気状況では、製品やサービスへの "需要" というものにばかり目をむけがちであろう。極端に言えば、 "需要" がない! という "仮想敵" とばかり闘おうとするのかもしれない。
それも重要な観点ではあろう。しかし、本当に "需要" は無いのであろうか。必ずしもそうとばかりも言えないのかもしれない、と考えた。
もともと、人間は身動きせずに生きることはできないものであり、さまざまな製品やサービスに対する "需要" を沸々と生み出しつつ生きて生活している。
問われるべきは、 "吊るし" のような、あるいは "手前勝手" な "需要" を念頭に置き過ぎているのではなかろうか......、と思ったのだ。そうだとすれば、景気の良し悪しに関係なく "需要" というものは乏しいと認識されざるを得ない。まして、将来不安が著しい時期にあってはなおさらのことかもしれない。
課題は、潜在的でしかない "需要" を、仕事の進め方においてどう目に見える形で成立させるのかしかないようだ。そして、その仕事の進め方において意外と見過ごされているのが、 "現場の需要" のリアルな姿を知らずして仕事の一環に参画している者たちが多過ぎるのではなかろうか、と......。
その最たる者は、 "現場知らず" の管理職やデスクワーカーなのかもしれない。もっと、物言わぬ現場とその周囲の事情を "自身の命綱に値する事柄" だと睨んで検証すべきなのであろう。
なお、モノ作りに関していえば、職人さんたちや技術者たちの環境や事情を、メーカーサイド以上に重要視すべきだと確信する。現在の "需要" は、メーカー提供の製品だけで100%満足する時代ではなくなっていそうである。それらと、顧客の満足感とをしっかりと結びつける職人さんたちや技術者たちこそが、今、もっと注目されていいと感じている。
時あたかも、メーカーサイドは "需要低迷" 、業務立て直しとかで、末端で仕事を完遂させる職人さんたちや技術者たちに "しわ寄せ" を及ぼそうとしている気配があるが、そんな路線を選ぶならば、取り返しのつかない完全な "需要低迷" が立ち現れるのではなかろうか...... (2009.07.16)
もともと、人間は身動きせずに生きることはできないものであり、さまざまな製品やサービスに対する "需要" を沸々と生み出しつつ生きて生活している。
問われるべきは、 "吊るし" のような、あるいは "手前勝手" な "需要" を念頭に置き過ぎているのではなかろうか......、と思ったのだ。そうだとすれば、景気の良し悪しに関係なく "需要" というものは乏しいと認識されざるを得ない。まして、将来不安が著しい時期にあってはなおさらのことかもしれない。
課題は、潜在的でしかない "需要" を、仕事の進め方においてどう目に見える形で成立させるのかしかないようだ。そして、その仕事の進め方において意外と見過ごされているのが、 "現場の需要" のリアルな姿を知らずして仕事の一環に参画している者たちが多過ぎるのではなかろうか、と......。
その最たる者は、 "現場知らず" の管理職やデスクワーカーなのかもしれない。もっと、物言わぬ現場とその周囲の事情を "自身の命綱に値する事柄" だと睨んで検証すべきなのであろう。
なお、モノ作りに関していえば、職人さんたちや技術者たちの環境や事情を、メーカーサイド以上に重要視すべきだと確信する。現在の "需要" は、メーカー提供の製品だけで100%満足する時代ではなくなっていそうである。それらと、顧客の満足感とをしっかりと結びつける職人さんたちや技術者たちこそが、今、もっと注目されていいと感じている。
時あたかも、メーカーサイドは "需要低迷" 、業務立て直しとかで、末端で仕事を完遂させる職人さんたちや技術者たちに "しわ寄せ" を及ぼそうとしている気配があるが、そんな路線を選ぶならば、取り返しのつかない完全な "需要低迷" が立ち現れるのではなかろうか...... (2009.07.16)
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