この三連休、パーフェクトに肉体労働に徹したことになる。
テーマは、 "庭の空間再配置" とでも言えようか。半坪大のスチール物置を単独で移動させたのもその一環であった。
もちろん、収納物を再点検するために一度すべてを庭に広げることにもなった。さながら古道具屋、いやゴミ集積場と思えた。
結局、かなりの部分をゴミとして捨てることとなる。庭木の整理で生じた枝類を含め、大変な量の廃棄物が発生することとなった。ちなみに、休み明けにゴミ処理場に持ち込もうとして積み込んだワゴン車の荷台は満載状態となっている。
事務所のみならず、自宅でも、書斎から物置に至るまで、ゴミに類するモノを後生大事に保管し続けてきたこととなる。我ながらあきれ返っているところだ。
テーマは、 "庭の空間再配置" とでも言えようか。半坪大のスチール物置を単独で移動させたのもその一環であった。
もちろん、収納物を再点検するために一度すべてを庭に広げることにもなった。さながら古道具屋、いやゴミ集積場と思えた。
結局、かなりの部分をゴミとして捨てることとなる。庭木の整理で生じた枝類を含め、大変な量の廃棄物が発生することとなった。ちなみに、休み明けにゴミ処理場に持ち込もうとして積み込んだワゴン車の荷台は満載状態となっている。
事務所のみならず、自宅でも、書斎から物置に至るまで、ゴミに類するモノを後生大事に保管し続けてきたこととなる。我ながらあきれ返っているところだ。
今日のメインイベントは、庭木の大胆な剪定であった。いや、剪定の域を超えて "伐採" にまで及んだのは心残りであった。それなりの事情があったわけだが、キンモクセイの樹を三本もチェーンソーで "伐採" し、ゴミ収集に向けて寸断せざるを得なかったのは、これまた我ながら残酷極まりないと感ぜざるを得なかった。
今ひとつの植木対策は、葡萄の樹を大幅に "いじる" ことであった。今年も既に何房かの実を実らせてもいる。さすがに二十年近くも慣れ親しんできたそうした葡萄の樹を "伐採" するという判断だけは遠ざけたかった。
ただ、これまた手入れが悪かったために、幹のつるはまるで "大蛇" のようにうねり回って、二階のベランダの柵に絡んでいる。その姿を正してやらなければならない。
確かに、その異様な姿は、葡萄の樹自体が "自堕落" に選択した結果だと言えないこともない。こちら側は、その時その時の葡萄のつるの伸び方を補強してやったに過ぎないからだ。
しかし、そう言い切ってしまうと、面倒を見る者としてはかなり "無責任" であったような、そんな後ろめたさがないではない。 "わしは、こんな風になりたくはなかった!" とTVドラマの誰かのセリフではないが、葡萄の樹は叫んでいるのかもしれない。そして、ある時、このまま伸ばさせたんじゃマズイかもしれないぞ、と予感したことがあったはずでもある。それにもかかわらず、結局自分は "無為" を選択し続けたのだ。
物事にあっては、積極的に悪を選択することだけが罪なのではなかろう。意外と見過ごされがちなのは、事態が悪い方向へと傾斜していることを認識しながら、そして、自身にそれを食い止める可能性があるにもかかわらず、 "無為" を決め込むという選択なのかもしれない。
いささか飛躍気味となるが、極端に言えば、こうした見過ごされがちな罪の累積こそが、現代の解きがたい異様な問題現象の根底にねっとりと横たわっているようにも思われる。積極的な悪に手を染める者たちの背後や根底には、こうした "無作為の作為" を選択する者たちが何千倍、何万倍の数で潜んでいる、と言ってしまうと、やはり極端過ぎてしまうのだろうか...... (2009.07.20)
今ひとつの植木対策は、葡萄の樹を大幅に "いじる" ことであった。今年も既に何房かの実を実らせてもいる。さすがに二十年近くも慣れ親しんできたそうした葡萄の樹を "伐採" するという判断だけは遠ざけたかった。
ただ、これまた手入れが悪かったために、幹のつるはまるで "大蛇" のようにうねり回って、二階のベランダの柵に絡んでいる。その姿を正してやらなければならない。
確かに、その異様な姿は、葡萄の樹自体が "自堕落" に選択した結果だと言えないこともない。こちら側は、その時その時の葡萄のつるの伸び方を補強してやったに過ぎないからだ。
しかし、そう言い切ってしまうと、面倒を見る者としてはかなり "無責任" であったような、そんな後ろめたさがないではない。 "わしは、こんな風になりたくはなかった!" とTVドラマの誰かのセリフではないが、葡萄の樹は叫んでいるのかもしれない。そして、ある時、このまま伸ばさせたんじゃマズイかもしれないぞ、と予感したことがあったはずでもある。それにもかかわらず、結局自分は "無為" を選択し続けたのだ。
物事にあっては、積極的に悪を選択することだけが罪なのではなかろう。意外と見過ごされがちなのは、事態が悪い方向へと傾斜していることを認識しながら、そして、自身にそれを食い止める可能性があるにもかかわらず、 "無為" を決め込むという選択なのかもしれない。
いささか飛躍気味となるが、極端に言えば、こうした見過ごされがちな罪の累積こそが、現代の解きがたい異様な問題現象の根底にねっとりと横たわっているようにも思われる。積極的な悪に手を染める者たちの背後や根底には、こうした "無作為の作為" を選択する者たちが何千倍、何万倍の数で潜んでいる、と言ってしまうと、やはり極端過ぎてしまうのだろうか...... (2009.07.20)
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