現代における "代行" 機能の危うさいろいろ ......

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 この間、事務所と自宅を問わず、不用品の整理・処分を "自前" でやり通してきた。詳細はおくが、通常ならば業者に依頼するはずのものについても大半を "ドゥ・イット・ユアセルフ" で賄った。
 根本的な動機は、コストを掛けたくないというセコイ次元にあったが、ほとんど不可能っぽい状況をどうやら突破しそうな今、痛感することが二、三ある。
 そのひとつは、モノに対する感じ方の変革である。モノを入手する際には、その処分法まで含めて判断すべきであり、永遠に持ち続けるとか、いつでも捨てられるといった "幻想" のもとでイージーに考えるべきではない、という点だ。
 そして、当然、使うモノは随時点検・整理をしておくべきで、いつか使うだろうというこれまた "幻想" に陥っていてはならない。その方が、むしろ使う有効なチャンスを増やすことにもつながる。
 こうした、現在の環境に応じたモノへの感覚を取り戻した気がしているのだ。
 二点目が、今注目したい点なのだが、モノの整理・処分とて、他人任せ、代行処理をさせるべきではない、という点だ。確かに、代行業者に依頼すれば簡単ではあるものの、やはり法外の高コストとなってしまう。
 昨今、街中をやたらに走り回っている不用品片付け屋(不要となったモノを何でも無料で片付けます!)なんぞは、一見便利屋を装って、まさに法外な処分費を求めてくる。それでいて彼らは、そうした処分品の資源的価値を換金してもいる。二重の収入源をねらっているわけだ。
 彼らも商売だからしょうがない面もあろうが、振り返ってみると、現代という時代環境では、何かにつけて "代行" というスタイルが商売ネタにされていることに気づく。
 言うまでもなく、その先駆は "代書屋" なのかもしれない。司法書士のやっている作業とて、別に大したことではなく、一般人にとってはただ煩わしさが伴うに過ぎない。
 別な角度から言えば、日常的な法的作業は当局がもっと合理化をはかり、一般人であればスラスラと書き進められるスタイルにすべきなのではなかろうか。聞くところによれば、当局自体が一般の素人が対処したミスだらけの書類を扱うのが苦労であるから、書式の難易度のハードルを上げて、専門家としての司法書士に介入させた方が手が掛からない......、とかである。
 裁判員制度が国民の法意識の底上げをねらっているそうだが、そんなことよりも、自らの切実な問題に関わる法的書式を、もっと取っ付き易くした方がはるかに庶民の法意識の向上につながるはずであろう。肝心なことに目を向けていないわけだ。
 というのも、司法書士に案件の "代行" をさせれば、ラクになり、その分、当事者の "当事者感覚" がきっと薄まるに違いないと思われるからだ。

 事ほど左様に、おカネを出せば何でも肩代わりしてくれる "代行" という商慣習は、便利さ以上に現在では本質的な点での弊害となりつつあるように思われる。
 ちなみに "代行" という切り口で大きな問題を二つ挙げてみる。
 そのひとつは、今回の麻生内閣の解散問題だ。いろいろと能書きを言うことはできようが、一点に絞れば、 "官僚丸投げ内閣" だった点に尽きる。政治家としての資質のなさゆえに "官僚機構" の言いなりになり過ぎたためにブレまくって国民が不信感を抱いたのであろう。
  "官僚機構" も主権者国民の "代行" 機構であるはずだ。もっとも、民意が正確に反映されていればという前提つきではある。ところが、現在の "官僚機構" はそんな道理を放り投げ、組織としての自己保身にだけ走る腐った "代行" 機構と成り果てている。まさに、 "代行" というものが、最悪条件のもとに置かれるならばどんなに危険なものかを身をもって示していそうである。

 もう一点、現代における "代行" 機能の危うさを感じるものとして、信託銀行機能やヘッジファンドという問題がありそうだ。
 この何週間か、NHKは、今回の金融危機の背景をかなり詳細に報じていた。 "金融工学" というテクノロジーにも、わかりやすいアプローチの解説を施していた。
 ここでの文脈に引き寄せれば、要するに、金融上のリスクを "安全代行" するという "金融工学理論" の構築とそのアグレッシーブな実施とによって、結局は、今回の世界的金融危機が導かれてしまったと理解できる。
 サブプライムローンが孕んでいた高確率な金融リスクが、リスクの "安全代行" という方式(CDSなど)によって、見えないかたちで金融新商品に埋め込まれていたことが、今回の危機の悲劇だったというわけなのだ。

 やや急いだ書き方となってしまったが、現代という特殊な時代にあって、そうだからこそとも言えるが "代行" 機能が肥大化し、また蔓延してもいる。そして、これらはその "不透明さ" 、少なくとも一般個人の目からはそう映らざるを得ない "不透明さ" によって、必然的に "暴走する危険" を随伴しているのである。
 だからこそ、いろいろな角度から "代行" というものについて目が離せないわけだ...... (2009.07.21)












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