今朝の地震には驚かされた。揺れの強さとともに継続時間も長かったためだ。寝ぼけた早朝五時前後ということもあり、一瞬、家が倒壊するのではないかと感じたほどである。せっかく "サンルーム" を設えたばかりなのに......、と苦々しく思ったりした。
幸いこれといった被害はなくて済んだ。それにしても、昨今は自然環境ばかりがスポットライトを浴びるご時世となった。まあ、 "清純派" タレントの意外な行状も衆目を集めているにはいるが......。
幸いこれといった被害はなくて済んだ。それにしても、昨今は自然環境ばかりがスポットライトを浴びるご時世となった。まあ、 "清純派" タレントの意外な行状も衆目を集めているにはいるが......。
両者はまったく関係のない出来事である。が、あえて、両者を関係づけてみると、共通項は "見かけ倒し" ということにでもなりそうだ。
この世知辛いご時世の中で、われわれはすっかり "清純さ" を喪失しているというか、かなぐり捨てたりもしていそうだ。それでいて、無いものねだりのように、マス・メディア上でそうした "清純さ" が託せる存在を求めようとしたりする。
よく考えてみると、そんなことは土台ムリなことであるはずだろう。われわれの周囲近辺を見回してもそんな存在は稀有である。まして、市場原理の二乗・三乗というすさまじい原理で動いている "芸能界" やその周辺に、 人々の "清純さ" 願望を充たすような実在人物などいるわけがないと考えるべきではなかろうか。もし、そういう人物が存在するとするならば、マス・メディアや "芸能界" などとはまったく無縁の世界にいるのかもしれないではないか。それとても確率はかなり小さいかもしれないが......。
要するに、 "清純派" タレントというのは、そういう風にデザインされ、巨額を投じてキャンペーンされて "作り出された" 存在だということのはずである。それはそれで、そうしたことを承知の上で迎え入れればいい。
ただ、 "作り出された" 存在だという点を醒めた目で見続けるべきだし、ご当人もそれを常に肝に銘じることだろう。それができないのであれば、潔く "普通の人" に戻るなり、あるいは当面の "利" を捨てて、戻る構えで "リフォーム" なりをすればいい。
優れた芸能人たちは、こんな問題を密かに処理して来たのではなかろうか。 "寅次郎" こと渥美清もこの種の課題を深刻に受け止めていたとも聞く。
"作り出された" 存在というのは、現代にあっては極めて重要な "キーワード" であるように思える。それがマス・メディアによってであろうが、人々の思い込みの結果であろうがである。こうしたものを成立させてしまう環境を、時代環境は備えているのだと思う。
そして、今、かなり重い問題として受け止めなければいけないのが、 "安全神話" という長い間に "作り出された" 存在が無残に崩壊しつつあるということなのだろう。
既に、社会環境上での "安全神話" が崩壊の一途を辿っている点は周知の事実になっている。が、これに加えて、今、クローズアップしているのは、自然環境における暗黙のうちの "安全神話" が、音を立てて崩れ始めている事実のはずである。
端的に言って、これまでのこの国の自然環境に関する "安全神話" は、いわば "地球温暖化現象以前" を前提に成立していたはずである。
しかし、手をこまねく間に "地球温暖化現象" は急速な展開を見せ、なおかつその事実が額面どおりに人々の共通認識となる前に、自然(気象)現象が盲目的に反応を始めてしまったと見える。
現在の自然環境の安全性は、 "ポスト地球温暖化現象" という現状をこそ前提にして再構築されなければならないのだろう。もちろん、 "地球温暖化現象" の阻止が大前提ではあるが、国土環境の安全性が、 "ポスト地球温暖化現象" という基準で総点検されなければならない、ということなのである。
そうした方針や政策なくして、ただ大丈夫に違いない、という風潮に寄りかかることは、まさに綻びた "安全神話" を色上げし、 "作り出された" 存在としての側面を強調することに等しい。
今回の地震で、東名高速道路の路肩が無残にも崩壊した現象を、決してたまたま起こった一過性の事実と見ない方が良さそうな気がしている...... (2009.08.11)
この世知辛いご時世の中で、われわれはすっかり "清純さ" を喪失しているというか、かなぐり捨てたりもしていそうだ。それでいて、無いものねだりのように、マス・メディア上でそうした "清純さ" が託せる存在を求めようとしたりする。
よく考えてみると、そんなことは土台ムリなことであるはずだろう。われわれの周囲近辺を見回してもそんな存在は稀有である。まして、市場原理の二乗・三乗というすさまじい原理で動いている "芸能界" やその周辺に、 人々の "清純さ" 願望を充たすような実在人物などいるわけがないと考えるべきではなかろうか。もし、そういう人物が存在するとするならば、マス・メディアや "芸能界" などとはまったく無縁の世界にいるのかもしれないではないか。それとても確率はかなり小さいかもしれないが......。
要するに、 "清純派" タレントというのは、そういう風にデザインされ、巨額を投じてキャンペーンされて "作り出された" 存在だということのはずである。それはそれで、そうしたことを承知の上で迎え入れればいい。
ただ、 "作り出された" 存在だという点を醒めた目で見続けるべきだし、ご当人もそれを常に肝に銘じることだろう。それができないのであれば、潔く "普通の人" に戻るなり、あるいは当面の "利" を捨てて、戻る構えで "リフォーム" なりをすればいい。
優れた芸能人たちは、こんな問題を密かに処理して来たのではなかろうか。 "寅次郎" こと渥美清もこの種の課題を深刻に受け止めていたとも聞く。
"作り出された" 存在というのは、現代にあっては極めて重要な "キーワード" であるように思える。それがマス・メディアによってであろうが、人々の思い込みの結果であろうがである。こうしたものを成立させてしまう環境を、時代環境は備えているのだと思う。
そして、今、かなり重い問題として受け止めなければいけないのが、 "安全神話" という長い間に "作り出された" 存在が無残に崩壊しつつあるということなのだろう。
既に、社会環境上での "安全神話" が崩壊の一途を辿っている点は周知の事実になっている。が、これに加えて、今、クローズアップしているのは、自然環境における暗黙のうちの "安全神話" が、音を立てて崩れ始めている事実のはずである。
端的に言って、これまでのこの国の自然環境に関する "安全神話" は、いわば "地球温暖化現象以前" を前提に成立していたはずである。
しかし、手をこまねく間に "地球温暖化現象" は急速な展開を見せ、なおかつその事実が額面どおりに人々の共通認識となる前に、自然(気象)現象が盲目的に反応を始めてしまったと見える。
現在の自然環境の安全性は、 "ポスト地球温暖化現象" という現状をこそ前提にして再構築されなければならないのだろう。もちろん、 "地球温暖化現象" の阻止が大前提ではあるが、国土環境の安全性が、 "ポスト地球温暖化現象" という基準で総点検されなければならない、ということなのである。
そうした方針や政策なくして、ただ大丈夫に違いない、という風潮に寄りかかることは、まさに綻びた "安全神話" を色上げし、 "作り出された" 存在としての側面を強調することに等しい。
今回の地震で、東名高速道路の路肩が無残にも崩壊した現象を、決してたまたま起こった一過性の事実と見ない方が良さそうな気がしている...... (2009.08.11)
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