たぶん、そうなのだろうと聞いているが、お隣さんおうちからは頻繁に "かき氷" をしている音がする。シャリシャリシャリという音である。
夜、別室のサンルームで仕事をしていると、昨日も書いた<カネタタキ>の鳴き声が日増しに良く聞こえるとともに、そんな "季節の調べ" が聞こえてくるのだ。ここは、両サイドを網戸にして風通しをよくしているからか、近所の音が良く響いてくるようだ。
たまーにというのであれば気にすることもない。が、このところ毎晩のように、かなり頻繁にシャリシャリ音が聞こえてくるのだ。よほど好物のようである。いや、むしろ、やみつきというか "中毒" にでもなっているのかもしれない。別に悪気があって書いているのではない。半分、羨ましい気持ちがありそうな気もする。
夜、別室のサンルームで仕事をしていると、昨日も書いた<カネタタキ>の鳴き声が日増しに良く聞こえるとともに、そんな "季節の調べ" が聞こえてくるのだ。ここは、両サイドを網戸にして風通しをよくしているからか、近所の音が良く響いてくるようだ。
たまーにというのであれば気にすることもない。が、このところ毎晩のように、かなり頻繁にシャリシャリ音が聞こえてくるのだ。よほど好物のようである。いや、むしろ、やみつきというか "中毒" にでもなっているのかもしれない。別に悪気があって書いているのではない。半分、羨ましい気持ちがありそうな気もする。
盆休みの頃には、お泊りにやって来ていたお孫さんのはしゃぐ声も良く聞こえていた。他人さまのおうちの生活音に、別に耳をそばだてているわけではないが、夜静かになると、そう、<カネタタキ>なんぞの鳴き声が聞こえるほどに静かになると、あちこちの家のそうした生活音が聞こえてくるのである。
好感が持てる生活音となると、このシャリシャリ音もそうだが、何と言っても朗らかな笑い声であろう。そんな響きを耳にしていると、人の生活がとても愛しく感じられたりする。ほっとする時間と空間とを、それぞれがさり気ない気配りで築き上げている人たちの健やかさに、こちらまでほっとさせられるようである。
暢気だなんぞと揶揄するつもりなんぞは毛頭ない。これで、それぞれの人たちは、口や表情には出さずとも、結構、内心でいろいろな気分で苛まれていたりもするに違いないからだ。疲労感や不安感を筆頭にして、わけのわからない恐怖心やそして怒り、絶望感など人ひとりの内心には見た目にはわからないモノトーンの気分というものが渦巻いている、と想像してみるのが至極自然なはずであろう。
だからこそ、ほっとする時間と空間とを、それぞれがさり気ない気配りをしながら築きたいと願っている。そんな願いが首尾よく叶えられた時の朗らかな笑い声とは、まるで甲子園の歓声のようなものであるのかもしれない......。
また、シャリシャリ音が響いてきた。幾分湿った感じの響きに聞こえるのは、時間が経たずまだ氷がしっかりと凍っていないからではないかと...... (2009.08.19)
好感が持てる生活音となると、このシャリシャリ音もそうだが、何と言っても朗らかな笑い声であろう。そんな響きを耳にしていると、人の生活がとても愛しく感じられたりする。ほっとする時間と空間とを、それぞれがさり気ない気配りで築き上げている人たちの健やかさに、こちらまでほっとさせられるようである。
暢気だなんぞと揶揄するつもりなんぞは毛頭ない。これで、それぞれの人たちは、口や表情には出さずとも、結構、内心でいろいろな気分で苛まれていたりもするに違いないからだ。疲労感や不安感を筆頭にして、わけのわからない恐怖心やそして怒り、絶望感など人ひとりの内心には見た目にはわからないモノトーンの気分というものが渦巻いている、と想像してみるのが至極自然なはずであろう。
だからこそ、ほっとする時間と空間とを、それぞれがさり気ない気配りをしながら築きたいと願っている。そんな願いが首尾よく叶えられた時の朗らかな笑い声とは、まるで甲子園の歓声のようなものであるのかもしれない......。
また、シャリシャリ音が響いてきた。幾分湿った感じの響きに聞こえるのは、時間が経たずまだ氷がしっかりと凍っていないからではないかと...... (2009.08.19)
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