昨日の "レンタル・サーバ" のダウンは、やはり "重症" だったと見え、その復旧までには12時間も掛かったようだ。ただ、心配していたデータ消失が皆無であったのは幸いであった。多分、ディスク障害の箇所から自分のデータ・エリアが離れていて影響を免れたものと思われる。
運が悪い場合には、一ヶ月分とかのデータが消失してしまい、ユーザ自身がその間のデータを再度アップロードしなければならないというような悲惨な事も起こり得る。
自分の場合、このように "デイリー" で更新を行っているため、そんなことにでもなればその徒労感ときたら言い知れないものがある。
先ずはホッとした次第である。
今日は、ひょんなことで朝から気が滅入っていた。別に珍しいことではなく、昨今のご時世では、誰でもがいつでも可能なことであろう、気が滅入り、落ち込んだ気分となるのは......。
自身を振り返っても、毎日がそんなふうであろうか。 "気分" なるものが、独りがとぼとぼと山の稜線を危なげに歩いているような、そんな図のようである。いつでも、足を滑らせて険しい谷間へと落ちることができる(?)。
先日、書いた<人はなぜ落ちる(落ち込む)のかといえば、 "這い上がる" ためなのだ>というハッタリめいたセリフは、こんな日常の感覚の文脈があったればこそ、妙に響いていたのかもしれない。
運が悪い場合には、一ヶ月分とかのデータが消失してしまい、ユーザ自身がその間のデータを再度アップロードしなければならないというような悲惨な事も起こり得る。
自分の場合、このように "デイリー" で更新を行っているため、そんなことにでもなればその徒労感ときたら言い知れないものがある。
先ずはホッとした次第である。
今日は、ひょんなことで朝から気が滅入っていた。別に珍しいことではなく、昨今のご時世では、誰でもがいつでも可能なことであろう、気が滅入り、落ち込んだ気分となるのは......。
自身を振り返っても、毎日がそんなふうであろうか。 "気分" なるものが、独りがとぼとぼと山の稜線を危なげに歩いているような、そんな図のようである。いつでも、足を滑らせて険しい谷間へと落ちることができる(?)。
先日、書いた<人はなぜ落ちる(落ち込む)のかといえば、 "這い上がる" ためなのだ>というハッタリめいたセリフは、こんな日常の感覚の文脈があったればこそ、妙に響いていたのかもしれない。
いい歳をしてあまり正直な感情を吐露すべきではないのかもしれない。もっとポーカーフェイスとやらで泰然自若ぶったりしてもいいのかもしれないが、この時代、それは不自然過ぎるだろうと思っている。むしろ "滑稽" となったり、振る舞いのバランスを崩しかねないと思える。
むしろ、人の気分を落ち込ませるような時代の通奏低音を、それとして認識しつつ、日々、さてどうやって "這い上がる" のかという課題をあたかも日課とすればいいのだろう。
ちょっとした小さな心の弾みや、ささやかな喜び、できれば小さくも感動であれば御の字であるが、それらを決して見逃さずに、 "這い上がろうとする" 気分のターニング・ポイントとでもすべきなのである。
そんなものが一日中無いということはなさそうだ。ただ、探そうとする姿勢は必須のようだ。
自分の場合、仕事関連にせよ何にせよ "疑問 ⇒ 探求" という脈絡などにおいて、思わぬ "氷解" に遭遇できたりすると、それが何よりも勇気づけられるターニング・ポイントになるようだ。
今日も、遅ればせながら夕刻になってやっとそんな "ポイント" を得ることができた。しかも、これはいつも感じることであるが、決して "理詰め" の結果なんぞではなく、偶発的と言うか無意識的な推移のなせる技だったようなのだ。
きっと、何とかして "氷解" したいともがくことが、意識下の蠢きを動員させることになっているのだろう。 "セレンディピティ" という魅惑的な言葉があるが、まんざらバカにしたものでもなさそうな気がしている。
まあとにかく、 "這い上がろうとする" 気分を手放さないことが肝要か...... (2009.09.10)
むしろ、人の気分を落ち込ませるような時代の通奏低音を、それとして認識しつつ、日々、さてどうやって "這い上がる" のかという課題をあたかも日課とすればいいのだろう。
ちょっとした小さな心の弾みや、ささやかな喜び、できれば小さくも感動であれば御の字であるが、それらを決して見逃さずに、 "這い上がろうとする" 気分のターニング・ポイントとでもすべきなのである。
そんなものが一日中無いということはなさそうだ。ただ、探そうとする姿勢は必須のようだ。
自分の場合、仕事関連にせよ何にせよ "疑問 ⇒ 探求" という脈絡などにおいて、思わぬ "氷解" に遭遇できたりすると、それが何よりも勇気づけられるターニング・ポイントになるようだ。
今日も、遅ればせながら夕刻になってやっとそんな "ポイント" を得ることができた。しかも、これはいつも感じることであるが、決して "理詰め" の結果なんぞではなく、偶発的と言うか無意識的な推移のなせる技だったようなのだ。
きっと、何とかして "氷解" したいともがくことが、意識下の蠢きを動員させることになっているのだろう。 "セレンディピティ" という魅惑的な言葉があるが、まんざらバカにしたものでもなさそうな気がしている。
まあとにかく、 "這い上がろうとする" 気分を手放さないことが肝要か...... (2009.09.10)
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