今日はまあまあの秋晴れの天候だから、ほっとしていたに違いない。町内の秋祭りのことである。
つい今しがた、何回目かの山車の行列が旧街道を通って行ったようだ。自宅に居ても、笛、太鼓といった囃子の音だけはよく伝わってくる。さすがに人のざわめきまでは届かない。もともと、 "行儀が良過ぎる" ほどの静かな祭りなのだ。
そういえば去年は町内会の年次当番であった。といってももっぱら家内に肩代わりしてもらっていたのだが、家内が "子ども御輿周辺の管理" とかの役目であったこともあり、自分も一応 "現場" まで足を運んだりしたものだった。
その "現場" というのは、決して "神社の社" なんぞではなく、町内会の詰め所というかセンターがそれなのだった。
その事情は去年も次のように書いた。
< 未だによくはわからないし、まあ、深く詮索するつもりもないのではあるが、祭りの本家である神社がちょいと遠いのと、にもかかわらず、この町内がその神社のいわゆる氏子であることから、町内会のセンターを仮設の神社と見立てて、執り行なっているという仕組みのようである。
そして、本家の神社施設がないままに、祭りの付帯施設、御輿や山車であったり、奉加を記した掲示板とか、そして、香具師たちが仕切る夜店などだけが、とにかく祭り風景をかもし出しているのであった。>
つい今しがた、何回目かの山車の行列が旧街道を通って行ったようだ。自宅に居ても、笛、太鼓といった囃子の音だけはよく伝わってくる。さすがに人のざわめきまでは届かない。もともと、 "行儀が良過ぎる" ほどの静かな祭りなのだ。
そういえば去年は町内会の年次当番であった。といってももっぱら家内に肩代わりしてもらっていたのだが、家内が "子ども御輿周辺の管理" とかの役目であったこともあり、自分も一応 "現場" まで足を運んだりしたものだった。
その "現場" というのは、決して "神社の社" なんぞではなく、町内会の詰め所というかセンターがそれなのだった。
その事情は去年も次のように書いた。
< 未だによくはわからないし、まあ、深く詮索するつもりもないのではあるが、祭りの本家である神社がちょいと遠いのと、にもかかわらず、この町内がその神社のいわゆる氏子であることから、町内会のセンターを仮設の神社と見立てて、執り行なっているという仕組みのようである。
そして、本家の神社施設がないままに、祭りの付帯施設、御輿や山車であったり、奉加を記した掲示板とか、そして、香具師たちが仕切る夜店などだけが、とにかく祭り風景をかもし出しているのであった。>
今朝、ウォーキングから戻る際に、朝一番から支度に余念がない祭り関係者たちの忙しそうな姿を見かけた。中でも、祭りには欠かせない夜店を営業する "香具師" たちの店作り、テント張りが威勢良く行われていたのが印象的であった。
予定されている祭りは今日一日だけであり、しかも、ここしばらくの雨天続きが途切れた晴れとあってか、彼らのテキパキとした動きには期待感のようなものが滲んでいるようであった。そりゃそうだろうな、何とかまともな稼ぎにありつきたい気持ちで一杯なのであろう。
そんなことを思っていたら、ふと、 "オリンピック vs 町内祭り" という図式が唐突に思い浮かんだ。
昨日は、 "2016年" に開催のオリンピックが "リオデジャネイロ" に決まり、東京は "落選" した日であった。もともと、東京での開催というアイデアはやや "横恋慕" のような気がしていた。二度目だという点に加えて、市民国民からの支持が極めて低い。
ま、アピールのための理屈は何とでもつけられようが、他の事柄を犠牲にすることになりかねない、そんな経済効果への下心はなかなか支持されるものでもなかろう。
自分にしても、もう東京、東京と騒ぐのは、都知事ならいざ知らず、市民国民の立場からすれば如何なものかと思わざるを得ない。首都東京に対してすべきことは、大災害に耐え得る環境見直しと早急な整備対策であって、決して新たに何かを付け加えることではないように思えてならないのだ。
まして、現時点での時代のキーコンセプトは "地方" ではなかろうか。ざっくり言って、 "地方" の人々が東京に集まるのではなく、集まる都市や場所が "地方" へと多元化すべきはずではなかろうか。
そしてそのことと、疲弊し切った "地方" が再復興できるならば願ってもないことだと思われる。昨今はどこの国にもありふれているような、メガロポリス東京の姿なんぞはさほど自慢にもならないような気がしている。
それで、 "オリンピック vs 町内祭り" の図式なのである。もちろん、思いつきの与太図式でしかない。
オリンピックがイコール "経済効果" であるならば、 "地方の祭り" にも当然その "面影" ほどのものがあると考えてもよいはずだろう。
今、そんな "刺激" を振り撒いているのは、ひょっとしたらNHKの時代劇大河ドラマなのかもしれない。その点、現ドラマはなんせ天下統一をめぐる広範囲な地域を舞台にしているため、その全国各地にばらついた名所旧跡が多角的な "刺激" となっているようでよしよしという感触ではないか。
"外需" を目当てとするオリンピックというイベントの向こうを張って、 "内需" 刺激策としての "地方の祭り" 活性化イベントというのはどんなものであろうか。もちろん、財源は、今回使わないで済んだオリンピック資金を惜しげなく回す......。といっても、都の方は、すでにオリンピック用地買収費などで足を出しているとかだが...... (2009.10.04)
予定されている祭りは今日一日だけであり、しかも、ここしばらくの雨天続きが途切れた晴れとあってか、彼らのテキパキとした動きには期待感のようなものが滲んでいるようであった。そりゃそうだろうな、何とかまともな稼ぎにありつきたい気持ちで一杯なのであろう。
そんなことを思っていたら、ふと、 "オリンピック vs 町内祭り" という図式が唐突に思い浮かんだ。
昨日は、 "2016年" に開催のオリンピックが "リオデジャネイロ" に決まり、東京は "落選" した日であった。もともと、東京での開催というアイデアはやや "横恋慕" のような気がしていた。二度目だという点に加えて、市民国民からの支持が極めて低い。
ま、アピールのための理屈は何とでもつけられようが、他の事柄を犠牲にすることになりかねない、そんな経済効果への下心はなかなか支持されるものでもなかろう。
自分にしても、もう東京、東京と騒ぐのは、都知事ならいざ知らず、市民国民の立場からすれば如何なものかと思わざるを得ない。首都東京に対してすべきことは、大災害に耐え得る環境見直しと早急な整備対策であって、決して新たに何かを付け加えることではないように思えてならないのだ。
まして、現時点での時代のキーコンセプトは "地方" ではなかろうか。ざっくり言って、 "地方" の人々が東京に集まるのではなく、集まる都市や場所が "地方" へと多元化すべきはずではなかろうか。
そしてそのことと、疲弊し切った "地方" が再復興できるならば願ってもないことだと思われる。昨今はどこの国にもありふれているような、メガロポリス東京の姿なんぞはさほど自慢にもならないような気がしている。
それで、 "オリンピック vs 町内祭り" の図式なのである。もちろん、思いつきの与太図式でしかない。
オリンピックがイコール "経済効果" であるならば、 "地方の祭り" にも当然その "面影" ほどのものがあると考えてもよいはずだろう。
今、そんな "刺激" を振り撒いているのは、ひょっとしたらNHKの時代劇大河ドラマなのかもしれない。その点、現ドラマはなんせ天下統一をめぐる広範囲な地域を舞台にしているため、その全国各地にばらついた名所旧跡が多角的な "刺激" となっているようでよしよしという感触ではないか。
"外需" を目当てとするオリンピックというイベントの向こうを張って、 "内需" 刺激策としての "地方の祭り" 活性化イベントというのはどんなものであろうか。もちろん、財源は、今回使わないで済んだオリンピック資金を惜しげなく回す......。といっても、都の方は、すでにオリンピック用地買収費などで足を出しているとかだが...... (2009.10.04)
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