どうしても "効率、効率" と囚われてしまう "クセ" が抜け切れない。そんな時代に生まれ育ち、時代環境が、周囲が、自分が、そして "落ちこぼれる恐怖" なんぞがこぞって束になり、尻を叩き、何事につけても "効率アップ" を促してきたのだから、そう簡単に "脱皮" できそうにもないのだが......。
正直言って、矛盾にまみれた自分がいることに気づく。
最近、総じて、生活ペースの "効率" が落ちてきたなぁ、と嘆く自分が一方にはいる。
また他方で、頭では、直感では、もうここいらで "豹変"・"チェンジ" しなければマズイぞ! と叫ぶ自分がいたりもする。まあ、そう叫ぶ自分の脳裏に "効率だけを追っかけていたのでは、効率が悪い(?)から......" という、何のこっちゃ、とでも言わなければならない愚かしさもあったりしそうだが......。
先日来、 "覚せい剤" 事件が世間を騒がし、賑わせていたものだ。自分は、この種の "薬物依存" という現象には、なぜだか無関心ではいられないできた。
いやいや、心配はご無用で、決して手を出すつもりなんぞはない。ただでさえ、タバコ依存、ニコチン依存と縁を切るのに七転八倒してきたのに、これ以上 "依存性" の強いモノで撹乱されるのは真っ平御免である。
問題は、それじゃあ "崇高な人間" は、 "依存物質" と無縁な "純粋意志" の存在であるのか? という点である。あるいは、 "パブロフの条件反射" の犬を蔑めるほどに香り高き精神だけの存在か、といぶかるのである。そんなワケはなかろう。
正直言って、矛盾にまみれた自分がいることに気づく。
最近、総じて、生活ペースの "効率" が落ちてきたなぁ、と嘆く自分が一方にはいる。
また他方で、頭では、直感では、もうここいらで "豹変"・"チェンジ" しなければマズイぞ! と叫ぶ自分がいたりもする。まあ、そう叫ぶ自分の脳裏に "効率だけを追っかけていたのでは、効率が悪い(?)から......" という、何のこっちゃ、とでも言わなければならない愚かしさもあったりしそうだが......。
先日来、 "覚せい剤" 事件が世間を騒がし、賑わせていたものだ。自分は、この種の "薬物依存" という現象には、なぜだか無関心ではいられないできた。
いやいや、心配はご無用で、決して手を出すつもりなんぞはない。ただでさえ、タバコ依存、ニコチン依存と縁を切るのに七転八倒してきたのに、これ以上 "依存性" の強いモノで撹乱されるのは真っ平御免である。
問題は、それじゃあ "崇高な人間" は、 "依存物質" と無縁な "純粋意志" の存在であるのか? という点である。あるいは、 "パブロフの条件反射" の犬を蔑めるほどに香り高き精神だけの存在か、といぶかるのである。そんなワケはなかろう。
脳科学がますます発展する現代にあっては、脳自体の内部において、 "脳内物質" というおどろおどろしいモノが暗躍し、人間の意思決定に大きく作用を及ぼしている事実が明らかになっている。 "純粋意志" なぞという荒唐無稽はまさに粉々のありさまだ。
ただ、こうした "脳内物質" は、体内で "自然生成" されるモノであり、その気になって生活習慣を節制すればコントロールできるモノだけに、かろうじて当人の "意志" の支配下にあるわけだ。その点が、外部から摂取する "依存性薬物" などと異なる。
しかし、 "その気になって生活習慣を節制すればコントロール可" だということは、その気にならなければいかようにでも不都合に至る、ということでもある。
まして、個々人の生活習慣に多大な影響を与え続ける社会や時代の環境が偏っていたとするならば、個々人は知らず知らずのうちに不本意な "脳内物質" 状況によって、あたかも "パブロフの条件反射" の犬の仲間にもなりかねないのかもしれない。
幾分、図式的な表現に傾いたが、最近つくづく思うことは、こんなに荒れた時代環境にあっては、その原因探しの視界には、動物としての人間の(脳)生理的あれこれまでを含みこまないと、実相が見えてこないような気がしているのである。芳しい良き理念や観念だけでは済まない次元に踏み込んでしまったのでは......、と。
"右肩上がり" の時代環境を、やや刺激的に<ドーパミン社会>だと括り、その言葉が照らす "(脳)生理的次元" の実態を見つめてみることも、意外と緊急課題なのではなかろうかと。
< ...... 人間の感情や行動をきめる重要な物質とその神経系には三タイプがあります。ドーパミン神経とノルアドレナリン神経、そしてセロトニン神経です。
ドーパミン社会の終焉
戦後、世の中がなにもないところから復興して、国民みんなが少しでもいい生活、少しでもよい賃金を追い求めて走ってきた日本の高度経済成長期や、アメリカンドリームのように個人個人が、ゼロから出発して「夢を持ち続けると絶対にいつか叶うんだからがんばろう」と上を見続けることが推奨される社会は、ドーパミン社会です。
ドーパミンという脳内物質は、一生懸命、夢に向かって苦しいことも我慢して努力し続けるときには非常に重要な物質です。つまり、ドーパミン社会とは、「快」や「報酬」を追い求める社会といえるのです。ところが、百年に一度の不況と呼ばれる現在は、すでにドーパミン社会の時代は終焉を迎えつつあるといえます。
理屈で考えれば百人が同じ夢に向かっていたとしても、大部分は挫折するはずです。それをだれでも成功者になれると、熱にうかされたように信じ込んで走っていたのがドーパミン社会です。夢からさめれば、ひとにぎりの成功者以外、ほとんどの人は幸福感、満足感を失ってしまったのです。 ...... >( 有田秀穂・中川一郎『「セロトニン脳」健康法』/2009.09.20/講談社+α新書 )
...... (2009.10.16)
ただ、こうした "脳内物質" は、体内で "自然生成" されるモノであり、その気になって生活習慣を節制すればコントロールできるモノだけに、かろうじて当人の "意志" の支配下にあるわけだ。その点が、外部から摂取する "依存性薬物" などと異なる。
しかし、 "その気になって生活習慣を節制すればコントロール可" だということは、その気にならなければいかようにでも不都合に至る、ということでもある。
まして、個々人の生活習慣に多大な影響を与え続ける社会や時代の環境が偏っていたとするならば、個々人は知らず知らずのうちに不本意な "脳内物質" 状況によって、あたかも "パブロフの条件反射" の犬の仲間にもなりかねないのかもしれない。
幾分、図式的な表現に傾いたが、最近つくづく思うことは、こんなに荒れた時代環境にあっては、その原因探しの視界には、動物としての人間の(脳)生理的あれこれまでを含みこまないと、実相が見えてこないような気がしているのである。芳しい良き理念や観念だけでは済まない次元に踏み込んでしまったのでは......、と。
"右肩上がり" の時代環境を、やや刺激的に<ドーパミン社会>だと括り、その言葉が照らす "(脳)生理的次元" の実態を見つめてみることも、意外と緊急課題なのではなかろうかと。
< ...... 人間の感情や行動をきめる重要な物質とその神経系には三タイプがあります。ドーパミン神経とノルアドレナリン神経、そしてセロトニン神経です。
ドーパミン社会の終焉
戦後、世の中がなにもないところから復興して、国民みんなが少しでもいい生活、少しでもよい賃金を追い求めて走ってきた日本の高度経済成長期や、アメリカンドリームのように個人個人が、ゼロから出発して「夢を持ち続けると絶対にいつか叶うんだからがんばろう」と上を見続けることが推奨される社会は、ドーパミン社会です。
ドーパミンという脳内物質は、一生懸命、夢に向かって苦しいことも我慢して努力し続けるときには非常に重要な物質です。つまり、ドーパミン社会とは、「快」や「報酬」を追い求める社会といえるのです。ところが、百年に一度の不況と呼ばれる現在は、すでにドーパミン社会の時代は終焉を迎えつつあるといえます。
理屈で考えれば百人が同じ夢に向かっていたとしても、大部分は挫折するはずです。それをだれでも成功者になれると、熱にうかされたように信じ込んで走っていたのがドーパミン社会です。夢からさめれば、ひとにぎりの成功者以外、ほとんどの人は幸福感、満足感を失ってしまったのです。 ...... >( 有田秀穂・中川一郎『「セロトニン脳」健康法』/2009.09.20/講談社+α新書 )
...... (2009.10.16)
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