今朝はあえて "朝寝坊" をしてみた。理由は、 "本当の疲労" を除去するには睡眠が一番だと聞かされたからだ。
どこから聞かされたかというと、<NHK番組『ためして ガッテン』>(2009年11月04日放送「世紀の大発見!頑固な疲れの原因"物質F"」)であり、それですぐに "ためして" みる自分の単純さには恐れ入る。
この番組で知らされた興味深い点は、「疲労感」と「疲労」とは異なる、という点である。通常、われわれが "疲れ" という場合、どうも「疲労感」のことを言っているようなのだ。つまり、 "脳" が判断した "疲れ" だということになる。
この感覚が "疲れ" にあらずということではないようだが、この感覚、信号だけで済ましてはいけない、いや、 "危険" だというのである。この "危険" の中には、 "突然の過労死" も除外できないというので、はぁーそうか! と合点した次第なのだ。
要するに、 "疲れ" というものは "二重" に出来上がっているようなのである。真の "正体" と、脳を介した自覚情報としての "影" とでも言うべき "二重性" 。
で、その真の「疲労」の "正体" とは次のように説明される。
どこから聞かされたかというと、<NHK番組『ためして ガッテン』>(2009年11月04日放送「世紀の大発見!頑固な疲れの原因"物質F"」)であり、それですぐに "ためして" みる自分の単純さには恐れ入る。
この番組で知らされた興味深い点は、「疲労感」と「疲労」とは異なる、という点である。通常、われわれが "疲れ" という場合、どうも「疲労感」のことを言っているようなのだ。つまり、 "脳" が判断した "疲れ" だということになる。
この感覚が "疲れ" にあらずということではないようだが、この感覚、信号だけで済ましてはいけない、いや、 "危険" だというのである。この "危険" の中には、 "突然の過労死" も除外できないというので、はぁーそうか! と合点した次第なのだ。
要するに、 "疲れ" というものは "二重" に出来上がっているようなのである。真の "正体" と、脳を介した自覚情報としての "影" とでも言うべき "二重性" 。
で、その真の「疲労」の "正体" とは次のように説明される。
<今年、国際的な学会で「疲労の主な原因」が判明したという衝撃的な発表が行われました。疲労の原因と考えられる物質が見つかったというのです。それはFFと名付けられたたんぱく質。......FFは、大量に作られると細胞の機能自体も低下させてしまいます。FFが作られることが疲労の正体だというわけです。>(NHKオンライン)
また、「疲労感」とは、
<FFが作られると脳に疲労の信号が送られ、脳で疲れを感じます。>(同上)
というように脳が自覚したところの<疲労の信号> "でしかない" というのである。
"でしかない" ものと表現した方が良い理由は、往々にしてこの「疲労感」は、 "騙される" 場合があるからなのかもしれない。
心理的(脳生理的)な要因によって、 "騙される" 場合が十分にあり得るらしいのだ。
<「疲れがなくなった」と言ったのは、「疲労感」がなくなっただけで、「疲労」そのものは、なくなっていなかったのです。このように「疲労」と「疲労感」には大きなギャップが生じることがあるのです。
報酬や達成感によって、疲労感が少なくなる現象を専門用語で、「疲労感がマスクされる」といいます。疲労感をマスクし続けて働き続ければ、疲労はたまる一方。
「疲労」そのものを回復させなければ、本当の疲労回復とは言えないのです。>(同上)
この辺の事情は、頻繁にコーヒーを飲んだり、それでも足りぬとばかりに "栄養ドリンク" を流し込んでは、カフェインによる興奮機能(交感神経)によって<「疲労感がマスクされる」>状態をでっち上げている日々を思い返すと、なるほどと思わざるを得ない。
「疲労」の "正体" = "FF" は、ほとんど手付かずのままに放置されたり、逆にムリを敢行したりするものだから、悪化の一途を辿る......、と。
つまり、「疲労感」というのは、脳によって判断される現象であり、身体(血液)状態それ自体とは区別されるべきものだということだろう。
これは、「痛み」というものも、身体各部から送られる信号によって脳が判断する現象であることと、まったく同じことだと考えられる。「痛み」だけを鎮痛したところで、「痛み」の "正体" である信号発信元の異常事態は改善されるものではないことと同じだということだ。
こうした現象を知ってみると、とかく日本人が "がんばる!" という姿勢をとりがちであったり、そうした習慣を身につけていたりすることは、クールに見つめ直す必要があるのかもしれない...... (2009.11.05)
また、「疲労感」とは、
<FFが作られると脳に疲労の信号が送られ、脳で疲れを感じます。>(同上)
というように脳が自覚したところの<疲労の信号> "でしかない" というのである。
"でしかない" ものと表現した方が良い理由は、往々にしてこの「疲労感」は、 "騙される" 場合があるからなのかもしれない。
心理的(脳生理的)な要因によって、 "騙される" 場合が十分にあり得るらしいのだ。
<「疲れがなくなった」と言ったのは、「疲労感」がなくなっただけで、「疲労」そのものは、なくなっていなかったのです。このように「疲労」と「疲労感」には大きなギャップが生じることがあるのです。
報酬や達成感によって、疲労感が少なくなる現象を専門用語で、「疲労感がマスクされる」といいます。疲労感をマスクし続けて働き続ければ、疲労はたまる一方。
「疲労」そのものを回復させなければ、本当の疲労回復とは言えないのです。>(同上)
この辺の事情は、頻繁にコーヒーを飲んだり、それでも足りぬとばかりに "栄養ドリンク" を流し込んでは、カフェインによる興奮機能(交感神経)によって<「疲労感がマスクされる」>状態をでっち上げている日々を思い返すと、なるほどと思わざるを得ない。
「疲労」の "正体" = "FF" は、ほとんど手付かずのままに放置されたり、逆にムリを敢行したりするものだから、悪化の一途を辿る......、と。
つまり、「疲労感」というのは、脳によって判断される現象であり、身体(血液)状態それ自体とは区別されるべきものだということだろう。
これは、「痛み」というものも、身体各部から送られる信号によって脳が判断する現象であることと、まったく同じことだと考えられる。「痛み」だけを鎮痛したところで、「痛み」の "正体" である信号発信元の異常事態は改善されるものではないことと同じだということだ。
こうした現象を知ってみると、とかく日本人が "がんばる!" という姿勢をとりがちであったり、そうした習慣を身につけていたりすることは、クールに見つめ直す必要があるのかもしれない...... (2009.11.05)
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