身体に良かれと思ってのウォーキングでも、自然と眼に入る光景から社会変化の一端を見出すことがある。昨日は、唐突にも、クルマ社会の裾野に陰りが生じているのではなかろうかと書いた。
今日は、農地(畑地)の宅地転用が進んでいるかのような気配について書きたい。あくまでも、ウォーキングのコースで眼にする範囲内での話でしかない。
今年になってからのことかと思うが、二ヶ所の区域で農地(畑地)が宅地化されているのを眼にした。もともと、市街地のただ中に残されたかのような農地(畑地)であったため、やがてはそうなるのだろうとは想像していたが、いざ、分譲に向けた土木工事が始まったり、分譲販売の立て札が立ったりすると、そうかやっぱりなぁ、と何事かを考えることになる。
片方の農地(畑地)では、農作業に勤しむ所有者たちの姿を久しく見続けてきた。さほど多くの種類ではない野菜類を育てていた。作業をしていたのは、高齢の夫妻だったかと記憶している。それも、連日というふうではなく、ばらついていた。
従って、覇気のある農作業風景だったという印象は残っていない。やむを得ないことなのだろうが、概して沈んだ重っ苦しい空気だけが漂っていたようだった。
そんなことを振り返ってみると、事ここに至った理由が何はともかく "継続従事者" がいない! という一点に尽きるのだろうと了解できる。
仮に広大な農地であっても、家族などの後継者が農業を営み続けて "回してゆく" には大変なリスクを背負うとも聞いているが、さほど広くはない農地だとしても年老いた夫婦のみで運用してゆくとなると、肉体的苦痛の方が先に立ってしまうのだろう。
これは眼に入った身近なひとつのケースでしか過ぎない。レア・ケースであれば幸いだと思うが、ひょっとしたら、大多数のケースの典型であるのかもしれない。
今日は、農地(畑地)の宅地転用が進んでいるかのような気配について書きたい。あくまでも、ウォーキングのコースで眼にする範囲内での話でしかない。
今年になってからのことかと思うが、二ヶ所の区域で農地(畑地)が宅地化されているのを眼にした。もともと、市街地のただ中に残されたかのような農地(畑地)であったため、やがてはそうなるのだろうとは想像していたが、いざ、分譲に向けた土木工事が始まったり、分譲販売の立て札が立ったりすると、そうかやっぱりなぁ、と何事かを考えることになる。
片方の農地(畑地)では、農作業に勤しむ所有者たちの姿を久しく見続けてきた。さほど多くの種類ではない野菜類を育てていた。作業をしていたのは、高齢の夫妻だったかと記憶している。それも、連日というふうではなく、ばらついていた。
従って、覇気のある農作業風景だったという印象は残っていない。やむを得ないことなのだろうが、概して沈んだ重っ苦しい空気だけが漂っていたようだった。
そんなことを振り返ってみると、事ここに至った理由が何はともかく "継続従事者" がいない! という一点に尽きるのだろうと了解できる。
仮に広大な農地であっても、家族などの後継者が農業を営み続けて "回してゆく" には大変なリスクを背負うとも聞いているが、さほど広くはない農地だとしても年老いた夫婦のみで運用してゆくとなると、肉体的苦痛の方が先に立ってしまうのだろう。
これは眼に入った身近なひとつのケースでしか過ぎない。レア・ケースであれば幸いだと思うが、ひょっとしたら、大多数のケースの典型であるのかもしれない。
自分のような、農業とは無縁で埒外の人間が心配することではないのかもしれないが、言うまでもなく現在の日本は、農業自給率がカロリーの観点で4割を割っているという危惧すべき状態である。今や誰一人として、日本の農業を楽観できる者はいないだろう。
差し迫ったより大きな課題は、他の中小零細規模事業と共通する "後継者" 問題なのだろうが、その足元には、不透明過ぎる経営の将来展望という問題が横たわっているに違いない。と言うよりも、将来展望が切り開かれないがために、ネクストを担う人材問題に手が付けられないといった悪循環なのだろう。
こうした悪循環は、林業でも発生しているようで、林業への従事希望者は少なくなさそうなのだが、現状・将来を約束することなど到底できない経営事情が事態を悪化させているらしい。
農業にしても林業にしても、何といっても自然環境と時間経過という "非デジタル的" な存在に大きく依存する産業である。そうであるがゆえに、人為的な急旋回でどうにかなるものではない。それこそ "百年の計" が練られなければならない領域だ。
目前の緊急課題に対処すべきは当然のことだろう。と同時に、 "百年の計" を要する課題への着手自体も、これもまた緊急課題なのだと言い切る何かが不可欠だ...... (2009.11.09)
差し迫ったより大きな課題は、他の中小零細規模事業と共通する "後継者" 問題なのだろうが、その足元には、不透明過ぎる経営の将来展望という問題が横たわっているに違いない。と言うよりも、将来展望が切り開かれないがために、ネクストを担う人材問題に手が付けられないといった悪循環なのだろう。
こうした悪循環は、林業でも発生しているようで、林業への従事希望者は少なくなさそうなのだが、現状・将来を約束することなど到底できない経営事情が事態を悪化させているらしい。
農業にしても林業にしても、何といっても自然環境と時間経過という "非デジタル的" な存在に大きく依存する産業である。そうであるがゆえに、人為的な急旋回でどうにかなるものではない。それこそ "百年の計" が練られなければならない領域だ。
目前の緊急課題に対処すべきは当然のことだろう。と同時に、 "百年の計" を要する課題への着手自体も、これもまた緊急課題なのだと言い切る何かが不可欠だ...... (2009.11.09)
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