玄関から最も遠い、庭の隅、お隣との境界近くに佇むため、これまでもさほど眺めることもなかった山茶花(さざんか)の樹。
今年は数多く紅花を咲かせる気配だ。すでに、二、三個が開花している。注意深く眼で追ってみると、葉に見え隠れしたかなりの数のつぼみが控えている。
庭の反対側の位置で存在感を増した柚子の樹と並び、これから眼を楽しませてくれそうである。
今日は朝から天気が崩れ、この後何日かはこんな天候が続くらしい。この時期のこうした天気の崩れを、山茶花梅雨(さざんかづゆ)と呼ぶらしい。
物の本によると、立冬を過ぎる頃にふる雨のことで、梅雨といっても長くはなく、山茶花の咲き始める頃に降り、春の菜種梅雨に対して呼ばれる "冬を告げる雨" 、だそうだ。この山茶花梅雨が終わると、いよいよ本格的に冬になるそうな。
だが、春の "菜種梅雨" といい、この秋の "山茶花梅雨" といい、昔の人たちはなんとも風情(ふぜい)のある物言いをするのかと感心させられてしまう。
今年は数多く紅花を咲かせる気配だ。すでに、二、三個が開花している。注意深く眼で追ってみると、葉に見え隠れしたかなりの数のつぼみが控えている。
庭の反対側の位置で存在感を増した柚子の樹と並び、これから眼を楽しませてくれそうである。
今日は朝から天気が崩れ、この後何日かはこんな天候が続くらしい。この時期のこうした天気の崩れを、山茶花梅雨(さざんかづゆ)と呼ぶらしい。
物の本によると、立冬を過ぎる頃にふる雨のことで、梅雨といっても長くはなく、山茶花の咲き始める頃に降り、春の菜種梅雨に対して呼ばれる "冬を告げる雨" 、だそうだ。この山茶花梅雨が終わると、いよいよ本格的に冬になるそうな。
だが、春の "菜種梅雨" といい、この秋の "山茶花梅雨" といい、昔の人たちはなんとも風情(ふぜい)のある物言いをするのかと感心させられてしまう。
しかし、こうした風情のある事柄を思う時、現状の世の中がいかに荒涼としているか、いや荒涼などという言葉にさえ値しない、 "壊れ方" であり、荒(すさ)みだ。まさに "言葉にならない" というか、 "筆舌に尽くせない" 地獄絵図が繰り広げられている。
"言葉にならない" から書くすべもないのだが、 "壊れている!" という事実だけは否定しようがない。だから、 "何が壊れたのか?" を問い、 "なぜ壊れたのか?" ということに誰もが眼を向ける必要がある。
一頃は、多くの者が目の前の現象を、肯定的な状態への "過渡期" なのだと言い聞かせ、決して "壊れている!" とか "壊れ続けている!" とは思わなかったかもしれない。
だが、今ならば "壊れている!" という事実認識はさほど難しくはない。しかし、これも時間が経過するならば、さらに手のつけられない事態へと突き進むことになる。
つまり、この最悪の現状以外に想像できるイメージがなくなり、 "ワースト" な現状そのものが自然なことなのだと諦めさせられてしまう、ということ......。
さし当たって難しいことを考える必要はなさそうな気がしている。
誤解を恐れず、回りくどい説明を割愛するならば、 "何が壊れたのか?" への応えは、 "自然" 以外ではないし、 "なぜ壊れたのか?" の応えは、 "自然をカネに換えたから" 以外ではないはずではなかろうか。
そして、この "坂道" を転がり落ちる過程が、 "しかたがなかった" という思いで敷き詰められていたことと対応して、もはや愚にもつかない "各論" を並べ立てるのではなくて、愚鈍なほどに "総論" へと軸足を移動させるべきか...... (2009.11.11)
"言葉にならない" から書くすべもないのだが、 "壊れている!" という事実だけは否定しようがない。だから、 "何が壊れたのか?" を問い、 "なぜ壊れたのか?" ということに誰もが眼を向ける必要がある。
一頃は、多くの者が目の前の現象を、肯定的な状態への "過渡期" なのだと言い聞かせ、決して "壊れている!" とか "壊れ続けている!" とは思わなかったかもしれない。
だが、今ならば "壊れている!" という事実認識はさほど難しくはない。しかし、これも時間が経過するならば、さらに手のつけられない事態へと突き進むことになる。
つまり、この最悪の現状以外に想像できるイメージがなくなり、 "ワースト" な現状そのものが自然なことなのだと諦めさせられてしまう、ということ......。
さし当たって難しいことを考える必要はなさそうな気がしている。
誤解を恐れず、回りくどい説明を割愛するならば、 "何が壊れたのか?" への応えは、 "自然" 以外ではないし、 "なぜ壊れたのか?" の応えは、 "自然をカネに換えたから" 以外ではないはずではなかろうか。
そして、この "坂道" を転がり落ちる過程が、 "しかたがなかった" という思いで敷き詰められていたことと対応して、もはや愚にもつかない "各論" を並べ立てるのではなくて、愚鈍なほどに "総論" へと軸足を移動させるべきか...... (2009.11.11)
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