"左卜全" のような口調を延々と耳にすることとなった。
かかりつけの病院での待合室でのことである。クスリの追加分をもらいに来た。予約制であるにもかかわらず、小一時間の待ち状態となった。
そんなこともあろうかと、新書版をポケットに忍ばせて行った。まぁ、これで2、30分のくらいの待ち時間は優に過ごせるはずではあった。
が、当てが外れてしまったのだ。すぐ近くの座席に座った話し好きのご老人が、付き添いで来たと思しき娘さんに、休む暇なく話かけていたのだ。それはまるで、何日分も溜まってしまった "会話エネルギー" とでもいうべきものを、ここぞとばかりに途切れることなく解き放っているかのようであった。
概してご老人というものは、日頃、話し相手がいなかったりすると尚のこと、気が許せる相手が見つかると安心して、腰を据えて喋り続けるようだ。多分、そのご老人も、そうした事情の人のようである。
自分は、ポケットから新書版を取り出してはいたのだが、一向に活字に身が入らない状態となっていた。別に、そのご老人の話を盗み聞きしようなどとは微塵も思っていない。にもかかわらず、注意が逸らされ続けたのにはそれなりの理由があったからだ。
それは、そのご老人の "話し方" にあったのかもしれない。
かかりつけの病院での待合室でのことである。クスリの追加分をもらいに来た。予約制であるにもかかわらず、小一時間の待ち状態となった。
そんなこともあろうかと、新書版をポケットに忍ばせて行った。まぁ、これで2、30分のくらいの待ち時間は優に過ごせるはずではあった。
が、当てが外れてしまったのだ。すぐ近くの座席に座った話し好きのご老人が、付き添いで来たと思しき娘さんに、休む暇なく話かけていたのだ。それはまるで、何日分も溜まってしまった "会話エネルギー" とでもいうべきものを、ここぞとばかりに途切れることなく解き放っているかのようであった。
概してご老人というものは、日頃、話し相手がいなかったりすると尚のこと、気が許せる相手が見つかると安心して、腰を据えて喋り続けるようだ。多分、そのご老人も、そうした事情の人のようである。
自分は、ポケットから新書版を取り出してはいたのだが、一向に活字に身が入らない状態となっていた。別に、そのご老人の話を盗み聞きしようなどとは微塵も思っていない。にもかかわらず、注意が逸らされ続けたのにはそれなりの理由があったからだ。
それは、そのご老人の "話し方" にあったのかもしれない。
もう知らない若い人たちが増えていることかと思うが、3、40年前になるだろうか、個性的な "老人役" で一世を風靡した俳優、 "左卜全" がいた。「ズビズバ パパパヤやめてケレ やめてケレ......」という奇妙奇天烈な歌(『老人と子供のポルカ』)まで歌って注目を集めたものであった。
そのご老人の "話し方" というのが、ちょうどその "左卜全" の "話し方" を髣髴とさせるものであったのだ。低いしゃがれ声、ゆったりとしたスローテンポ、それでいて何かを喋り続けようとする意欲だけは満ち溢れている。
聞き始めることになった当初、自分は "左卜全" の名を思い出せないでいた。その時に類似の "話し方" ということで思い起こしていたのは、 "八代目" 林家正蔵(後に "林家彦六" 。林家木久蔵の師匠で、木久蔵はよく "彦六" の "もったりもったりとした話し方" を真似しては笑いを取っていたものだ)の語り口であった。この "林家彦六" もまた、決して上手な "話し方" ではないものの、人の耳に注意力を喚起させる妙な力だけは持っていたような気がする。
が、ほかにも誰かの "話し方" に似ているような気がしてならず、名を思い出せずにいた "左卜全" の個性的な顔つきを頭の中に描き続けては首を傾げていたのだった。
そんなふうに、 "名が思い出せない" というハンディをも背負い込んだからなのかもしれない、まるで "噺家" の落語に耳を傾けるがごとく、一言一句聞き漏らさないような注意力が喚起され、耳が釘付けとなってしまっていたのだった。
そんなわけで、眼で追う、手元の新書版の活字は一向に前へとは進んで行かない状態だったのである。
ご老人の話の内容は、面白くないとは言わないまでも実にたわいないことばかりであった。それをたまたまの巡り合せというだけで "注意力" を喚起されながら聴くことになっていたのである。
3、40分もそうしていただろうか、ほとほとゲンナリとした気分となり、それにしても、話し相手をしている娘さんも大変なことだなぁ、なぞと思うようになった。
と、その時、漸く天井のスピーカーから「ひろせさん、ひろせやすおさん、二番の診察室にお入りください」という "救いのメッセージ" が聞こえてきたのだった...... (2009.12.12)
そのご老人の "話し方" というのが、ちょうどその "左卜全" の "話し方" を髣髴とさせるものであったのだ。低いしゃがれ声、ゆったりとしたスローテンポ、それでいて何かを喋り続けようとする意欲だけは満ち溢れている。
聞き始めることになった当初、自分は "左卜全" の名を思い出せないでいた。その時に類似の "話し方" ということで思い起こしていたのは、 "八代目" 林家正蔵(後に "林家彦六" 。林家木久蔵の師匠で、木久蔵はよく "彦六" の "もったりもったりとした話し方" を真似しては笑いを取っていたものだ)の語り口であった。この "林家彦六" もまた、決して上手な "話し方" ではないものの、人の耳に注意力を喚起させる妙な力だけは持っていたような気がする。
が、ほかにも誰かの "話し方" に似ているような気がしてならず、名を思い出せずにいた "左卜全" の個性的な顔つきを頭の中に描き続けては首を傾げていたのだった。
そんなふうに、 "名が思い出せない" というハンディをも背負い込んだからなのかもしれない、まるで "噺家" の落語に耳を傾けるがごとく、一言一句聞き漏らさないような注意力が喚起され、耳が釘付けとなってしまっていたのだった。
そんなわけで、眼で追う、手元の新書版の活字は一向に前へとは進んで行かない状態だったのである。
ご老人の話の内容は、面白くないとは言わないまでも実にたわいないことばかりであった。それをたまたまの巡り合せというだけで "注意力" を喚起されながら聴くことになっていたのである。
3、40分もそうしていただろうか、ほとほとゲンナリとした気分となり、それにしても、話し相手をしている娘さんも大変なことだなぁ、なぞと思うようになった。
と、その時、漸く天井のスピーカーから「ひろせさん、ひろせやすおさん、二番の診察室にお入りください」という "救いのメッセージ" が聞こえてきたのだった...... (2009.12.12)
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