この何日かはめっぽう冷え込んでいるようだ。昨日、今日あたりは、各地で初雪の話題をも耳にするほどである。この三多摩地域も、場合によっては雪がぱらつくこともあり得るとの予報もあった。もう師走も半ばを過ぎたのだから寒さが本格化したとしても不思議ではないはずであろう。
相変わらず、そんな寒さをものともせず、朝一でウォーキングに出る日課は続けている。むしろ、そうやって身体を動かして、汗ばむほどに血流がよくなると "内側から温まり" 寒さ除けにもなろうというものだ。
本来を言えば、そうした "内側から温まる" ふうでありたいと思う。いや、血流だけの問題ではない。さりとて、懐(ふところ)の問題でもない。(いや、そうでもないか......)最も望むのは、 "希望に満ちる心" によって、とかく寒々となりがちな気分を吹き払って心身ともに "温まる" というふうでありたいということであろう。
昔、『寒い朝』という歌謡曲があった。昭和37年(1962年)に、吉永小百合、和田弘とマヒナスターズの歌でヒットした曲である。
歌詞の出だしは「北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる......」と、まさに今上で書いたそのままが歌われ、誰も異議を唱えることがなかったのだ。
それもそのはずで、60年代は、何は無くとも江戸紫ではないが、生活の周辺に便利なモノや小奇麗なモノなんぞ何もない世相であった。それは、同年に上映された、同じ吉永小百合主演映画『キューポラのある街』の時代光景を思い出してもよくわかることだ。
ただ、何もなかったけれども、人々の胸の内側には "希望" という二文字に託された諸々のエネルギーが満ちていたようであった。
相変わらず、そんな寒さをものともせず、朝一でウォーキングに出る日課は続けている。むしろ、そうやって身体を動かして、汗ばむほどに血流がよくなると "内側から温まり" 寒さ除けにもなろうというものだ。
本来を言えば、そうした "内側から温まる" ふうでありたいと思う。いや、血流だけの問題ではない。さりとて、懐(ふところ)の問題でもない。(いや、そうでもないか......)最も望むのは、 "希望に満ちる心" によって、とかく寒々となりがちな気分を吹き払って心身ともに "温まる" というふうでありたいということであろう。
昔、『寒い朝』という歌謡曲があった。昭和37年(1962年)に、吉永小百合、和田弘とマヒナスターズの歌でヒットした曲である。
歌詞の出だしは「北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる......」と、まさに今上で書いたそのままが歌われ、誰も異議を唱えることがなかったのだ。
それもそのはずで、60年代は、何は無くとも江戸紫ではないが、生活の周辺に便利なモノや小奇麗なモノなんぞ何もない世相であった。それは、同年に上映された、同じ吉永小百合主演映画『キューポラのある街』の時代光景を思い出してもよくわかることだ。
ただ、何もなかったけれども、人々の胸の内側には "希望" という二文字に託された諸々のエネルギーが満ちていたようであった。
それもそのはずであり、時代は、まるで蒸気機関車のような牽引力を持った "高度経済成長" によって、とにかく "前へ前へ" と牽引されていたからである。たとえ、どこへ向かうのかが不問に付されていようが、さし当たって日々の生活が日毎、改善もしくはアップグレイドされていくようなムードが漂っていたことで、人々は "希望" という二文字とは無縁ではなかったと思われる。
しかも、こうした上向きの経済状況の成果は、昨今のように限られた上層階層だけがその恩恵を被るといった歪(ひずみ)を持たず、幅広い階層に滴り落ちる構造を持っていたから、庶民を含めた多くの人々が "希望" という二文字に接近できたのだと思う。
だから、貧しい生活の光景でしかなかった "キューポラのある街" の住人たちにも、 "まっすぐに生きる" 勇気を喚起していたのだと思われる。決して、景気の良し悪しだけではない時代環境全体が秘めたベクトルそのものが、人々にそこはかとなく "希望" を感じ取らせていたのであろう。
そんな "良き時代" を懐かしむことは、まるで "死んだ子の歳を数える" ような虚しさを禁じえないが、人々が、 "希望" という二文字をさりげなく "死語" の範疇へと押しやっているかに見えるこの現在は、やはりどうにかしなくてはなるまい。
文字通りの "寒い朝" が、人々を容赦なく襲っているかのような現在は、どう取り繕っても良い時代なんぞであろうはずがない。少なくとも、そうした事実認識だけは曇らせてはいけないと思う...... (2009.12.17)
しかも、こうした上向きの経済状況の成果は、昨今のように限られた上層階層だけがその恩恵を被るといった歪(ひずみ)を持たず、幅広い階層に滴り落ちる構造を持っていたから、庶民を含めた多くの人々が "希望" という二文字に接近できたのだと思う。
だから、貧しい生活の光景でしかなかった "キューポラのある街" の住人たちにも、 "まっすぐに生きる" 勇気を喚起していたのだと思われる。決して、景気の良し悪しだけではない時代環境全体が秘めたベクトルそのものが、人々にそこはかとなく "希望" を感じ取らせていたのであろう。
そんな "良き時代" を懐かしむことは、まるで "死んだ子の歳を数える" ような虚しさを禁じえないが、人々が、 "希望" という二文字をさりげなく "死語" の範疇へと押しやっているかに見えるこの現在は、やはりどうにかしなくてはなるまい。
文字通りの "寒い朝" が、人々を容赦なく襲っているかのような現在は、どう取り繕っても良い時代なんぞであろうはずがない。少なくとも、そうした事実認識だけは曇らせてはいけないと思う...... (2009.12.17)
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