自分自身のことのみならず、時代や社会全体に関して懸念されることはいくらでもあるが、以下のような事柄もそのひとつとなる。
<一人暮らし比率、全県で最多 2020年、全世帯の3分の1
2020年に全都道府県で一人暮らし世帯(単独世帯)の割合が最も多くなり、全世帯の3分の1に達することが国立社会保障・人口問題研究所が公表した将来推計で分かった。30年には4割近くになる見通し。同研究所は「5年前の調査よりさらに非婚・晩婚化が進んでいる。高齢夫婦が死別しても一人で住み続けることが原因」とみている。......>( nikkei.net 2009.12.19 )
"お一人様" と評されるような傾向がクローズアップしていることは視野に入っていた。それもひとつの時代風潮なのだろうかと高を括る感じでもあったが、上記のような統計・将来推計に接すると、俄然、心配になってきたりする。
<一人暮らし比率、全県で最多 2020年、全世帯の3分の1
2020年に全都道府県で一人暮らし世帯(単独世帯)の割合が最も多くなり、全世帯の3分の1に達することが国立社会保障・人口問題研究所が公表した将来推計で分かった。30年には4割近くになる見通し。同研究所は「5年前の調査よりさらに非婚・晩婚化が進んでいる。高齢夫婦が死別しても一人で住み続けることが原因」とみている。......>( nikkei.net 2009.12.19 )
"お一人様" と評されるような傾向がクローズアップしていることは視野に入っていた。それもひとつの時代風潮なのだろうかと高を括る感じでもあったが、上記のような統計・将来推計に接すると、俄然、心配になってきたりする。
先ず、推計数字は "高齢者のケース" とそうでないケースに分けて考える必要がありそうだ。そして、前者の場合、いわゆる "独居老人" のケースを想定すると、その増大傾向についてはやはりいろいろな面で懸念せざるを得ない。
当然、介護問題からはじまり、介護を必要としない場合でも高齢者の一人暮らしは何かと危険を伴いがちであろう。生活上の安全管理の問題もさることながら、年老いての一人暮らしが精神的にどんなにか "孤独感" に苛まれるであろうかと想像せざるを得ない。
ふと、先日観たTVドキュメンタリーのことを思い出す。昨今、増加の一途を辿っているという "ゴミ屋敷" 云々というテーマの番組であった。
かつて、学校(高校?)の教師であった男性(80代?)が、奥さんに先立たれて一戸建ての自宅に一人暮らしをしているうちに、自宅を "ゴミ屋敷" と化していったのだ。
なぜこんなことに......、と疑問を持つインタビュアに対してその老人は多くを語ろうとはしなかったが、詰まるところ、 "片付ける意味" が見出せないと呟かれているようであった。
まして、家屋の中に充満するほどに蓄積させてしまったゴミ、粗大ゴミを片付けるともなれば大変なエネルギーが必要となる。日々の日常生活を "なだめ、なだめ" 運んでいるのが精一杯のようなその老人からは、そんなエネルギーは "無いものねだり" のようにも思えた。
別の "ゴミ屋敷" と化した一人暮らしの老人も、それまで同居していたお兄さんが亡くなってから "ゴミと暮らす生活" となってしまったという。その老人も、涙ながらにお兄さんを懐かしんでおられた。老人が一人暮らしをすることの "精神的困難さ" がひしひしと伝わってくるようであった。
そうした "精神的困難さ" ゆえに、一人暮らしの老人が "ゴミ屋敷" を生むというような短絡をしようとは思わない。だが、そうした世間一般で避難される異様さに陥ってしまうほどの、ある種の "心の空白" とでも言えそうなものがへばりついている、と痛感せざるを得なかった。
今、若い世代にも "選択" されはじめているらしい "お一人様" 志向の件だけれど、そうした "選択" を積極的にする人たちに、上記のような例を示して、 "歳をとったら寂しいですよ......" と諭すのはやはりおこがましい。現に、 "お一人様" 生活の方が、夫婦の人間関係を運ぶよりもはるかに "ラク" だとする考え方も一理あるはずだからだ。
ただ、そうした積極的 "お一人様" 志向の人たちはとりあえずおくとして、やはり問題なのは、止むを得ずの "お一人様" 選択を強いられている若い世代の人々であろう。 "共棲" を望んでいながら、それがさまざまな社会的条件で不可能となっている、そうした現状が何とかされなければならない。
この件が、決して個人選択の範疇の問題だけではないことを、社会や世界が継続・持続することを望む誰もが、今少しの想像力を上乗せさせて考える時期が確実に迫っているはずなのだから...... (2009.12.19)
当然、介護問題からはじまり、介護を必要としない場合でも高齢者の一人暮らしは何かと危険を伴いがちであろう。生活上の安全管理の問題もさることながら、年老いての一人暮らしが精神的にどんなにか "孤独感" に苛まれるであろうかと想像せざるを得ない。
ふと、先日観たTVドキュメンタリーのことを思い出す。昨今、増加の一途を辿っているという "ゴミ屋敷" 云々というテーマの番組であった。
かつて、学校(高校?)の教師であった男性(80代?)が、奥さんに先立たれて一戸建ての自宅に一人暮らしをしているうちに、自宅を "ゴミ屋敷" と化していったのだ。
なぜこんなことに......、と疑問を持つインタビュアに対してその老人は多くを語ろうとはしなかったが、詰まるところ、 "片付ける意味" が見出せないと呟かれているようであった。
まして、家屋の中に充満するほどに蓄積させてしまったゴミ、粗大ゴミを片付けるともなれば大変なエネルギーが必要となる。日々の日常生活を "なだめ、なだめ" 運んでいるのが精一杯のようなその老人からは、そんなエネルギーは "無いものねだり" のようにも思えた。
別の "ゴミ屋敷" と化した一人暮らしの老人も、それまで同居していたお兄さんが亡くなってから "ゴミと暮らす生活" となってしまったという。その老人も、涙ながらにお兄さんを懐かしんでおられた。老人が一人暮らしをすることの "精神的困難さ" がひしひしと伝わってくるようであった。
そうした "精神的困難さ" ゆえに、一人暮らしの老人が "ゴミ屋敷" を生むというような短絡をしようとは思わない。だが、そうした世間一般で避難される異様さに陥ってしまうほどの、ある種の "心の空白" とでも言えそうなものがへばりついている、と痛感せざるを得なかった。
今、若い世代にも "選択" されはじめているらしい "お一人様" 志向の件だけれど、そうした "選択" を積極的にする人たちに、上記のような例を示して、 "歳をとったら寂しいですよ......" と諭すのはやはりおこがましい。現に、 "お一人様" 生活の方が、夫婦の人間関係を運ぶよりもはるかに "ラク" だとする考え方も一理あるはずだからだ。
ただ、そうした積極的 "お一人様" 志向の人たちはとりあえずおくとして、やはり問題なのは、止むを得ずの "お一人様" 選択を強いられている若い世代の人々であろう。 "共棲" を望んでいながら、それがさまざまな社会的条件で不可能となっている、そうした現状が何とかされなければならない。
この件が、決して個人選択の範疇の問題だけではないことを、社会や世界が継続・持続することを望む誰もが、今少しの想像力を上乗せさせて考える時期が確実に迫っているはずなのだから...... (2009.12.19)
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