"偶有性" としての事柄を、 "自分ごと" のように付き合ってはいられないか? ......

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 この1月17日(午前5時46分52秒)で震災15年周年を迎えることになるのが "阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)" だ。
 遠くから見守るのみで何もしてこなかった自分に恥じ入るが、思い起こすだにその災害規模は甚大だった。その甚大さを再確認させてもらうならば以下のようだったという。

<■ 死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
 ■ 負傷者のうち重傷者は県内10,494名(98.2%)・県外189名 (1.8%)
 ■ 軽傷者:県内29,598名(89.4%)・県外3,511名(10.6%)
 ■ 避難人数 : 30万名以上
 ■ 住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
 ■ 火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
 ■ その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
 ■ 被害総額 : 約10兆円規模>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 数多くの被災者に対する哀悼の意と、復興支援のために尽力されてこられた方々への敬意の意を改めて申し述べたいと思う。
 震災15年周年の日が近いからというだけではなく、こうした惨事に関しては "心して認識を深めること" が必要だと感じる昨今なのである。
 と言うのは、都市災害への危機管理体制整備という社会対策的な意味合いももちろんある。まるで "綱渡り" 的危険を感じさせるような行政環境下で暮らす庶民としては、 "他人ごと" で済ますわけには行かないからということだ。
 しかも、何かにつけての(自然)災害で、より多大な傷跡を被るのは "下層庶民" であることはいつの時代でも変わらないからだ。

 こうした根拠とも関係して今自分が関心を寄せるのは、 "災害や不幸の遍在性(どこにでも遍[あまね]く存在し得る!)" という点なのである。
 先日、 "偶有性" について書いた。( c.f.「極寒の寒空の下に放り出されている "ホームレス" でないことの "偶有性" ......」2010.01.09 )
 そこで思ったことも同じことであるのだが、被災にしてもさまざまな不幸にしても "他者の身に起きたこと" が、自身の身に絶対起きないという思いは、ほとんど "妄想" にしか過ぎない、のではないかということなのである。
 つまり、われわれが見聞するほとんどの事柄、少なくとも衆目を集めるような社会的事柄で、自身が経験することが絶対にない、と言い切れるような事柄は、多分なかろう、ということ。
 その "当事者" となるか、 "それ以外の部外者" でいられるかは、 "紙一重" の違い、あるいは単に確率的な相違だけのことであり、心理的には十分に "当事者" であるのが一般的なのではないのかと、そう思うのである。
 そこで、 "他の状態でもありえるのに、たまたまその状態でもある" という意味の "偶有性" という言葉が気になってしょうがないわけなのだ。

 上で書いた "他人ごと" という言葉なのであるが、最近、この言葉の向こうをはって "自分ごと" という造語( 博報堂DYグループエンゲージメント研究会『「自分ごと」だと人は動く』ダイヤモンド社 / 2009/11/28 )に出会った。
 新聞やテレビが見られなくなり、企業の広告も効かなくなってきたのは、膨大な情報を前に、人々は情報をスルーし、無視する術を身につけたからだという。
 どうも、その際、 "他人ごと" と "自分ごと" とを分ける一線が引かれているのではないか、というわけなのである。頷ける、興味深い視点である。
 情報過多の環境にあっては、一々、 "自分ごと" のように付き合ってはいられない、多くを "他人ごと" と見なしてしまう対処が実用的な生活術だとでもいうのがホンネなのであろうか。
 しかし、その実用性追求の過程で、本来、上記のような "偶有性" としての事柄を、無造作に "他人ごと" だと切り捨てる "危なさ" が広がっているような気配だ。
  "他人ごと" だとして黙殺してしまった視界から、超 "自分ごと" だと言うほかない出来事が突発するのが、この時代の恐さのような気がしている...... (2010.01.13)












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