マイケル・ポランニーの "暗黙知" から考える意識下の "記憶データ" ......

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 いわゆる "記憶" という "財産" (?)以外に、人の "脳" における "側頭連合野" には膨大な "記憶データ" が "格納" されているという話を昨日書いた。やはりこの事実はとてつもなく興味深いことだと思われる。
 自分は以前からマイケル・ポランニーの "暗黙知" という概念に関心を持ってきた。この日誌にも過去何度となく関連したことを書いてきた。「勘」、「インスピレーション」、「発見」、「創造性」というような煌びやかな人間行為が、どうもこの "暗黙知" と深く関係していそうな気がしてならないのである。
 ただ、潜在的、無意識の海に湛えられているかのような "記憶データ" (昨日の話)がただちに "暗黙知" だと言うのはいささか暴論のようである。そうした "記憶データ" は "存在" するのではあろうが、まさに "意識" を掻い潜ってはいないので、 "知識" とは言えないどころか、 "情報" というまとまりさえをも欠いていそうだ。
 つまり、「在ること」(存在)は確かだとしても、「知ること」(知識)との間には "暗くて深い溝がある" とでも言うしかしょうがないのであろう。

 だが、時として、その「存在」が "素材" として活かされるような "契機" が訪れると、 "創造的" な「知識」へと結実すると言えばいいのだろうか......。
 その "ラポール(橋渡し)" のような "方法的" 役割を果たすものが、 "暗黙知" の概念ではなかったか、という解釈もある。松岡正剛氏の見解である。

< 最初に誤解を解いておいたほうがいいと思うので言っておくが、暗黙知とは、意識の下のほうにあるために取り出せなくなっている知識のことをいうのではない。下意識に隠れ住んでいる知のことではない。どうも一部の経営学者たちがそういう見方を広めたようで、誤解が広まった。
 たとえばパン屋の職人がパン地をこね、それを独特の焼きかげんでパンにしているようなばあい、その職人的な「おいしさの知」のようなものを暗黙知と名付けたがるようだが、これはおかしい。料理人の味付けの技能が暗黙知なのではない。その「知」をコンピュータに入れてシステム化しようと思っても、なかなかそのアルゴリズムやプログラムにならない知が暗黙知というわけでは、ないのである。
 そうではなく、暗黙知とは科学的な発見や創造的な仕事に作用した知のことなのである。もっとわかりやすくいえば、思索や仕事や制作のある時点で創発されてきた知が暗黙知なのだ。言いかえるなら創発知とか潜在知とか、さらにわかりやすくしたいのなら、暗黙能とか潜在能と見たほうがいいだろう。
 しかし、ポランニーは暗黙知を安易には語らなかった。あとでわかると思うが(ぼくの説明によって)、ポランニーにとっての暗黙知は「方法」そのものなのである。方法が知識であるような、そのような脈絡が知識にひそんでいることを提言したのである。
 ...... ポランニーにとっての暗黙知は「方法」そのものなのである。方法が知識であるような、そのような脈絡が知識にひそんでいることを提言したのである。......
 ポランニーは技能の中にこそ、のちの創発を喚起する方法が芽生えていると見通したのである。すなわち、発見は対象知(knowing what)によっておこるのではなく、方法知(knowing how)によっておこるにちがいないと踏んだのだ。もっというのなら、ある個人の知識の総体のなかでその知を新たな更新に導くものは、その知識にひそむ方法知ではないかということなのである。>( 松岡正剛の千夜千冊/第千四十二夜【1042】2005年5月30日/マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』

 人は、いや人だけではなく生物全般と言った方がいいのかもしれない(たとえば、鳥類が卵から孵って最初に見た動く存在を、長く "記憶データ" として留め、それを "親" のように慕うという、 "刷り込み" 現象の例など)が、生きている間中、感覚器官から膨大な量の "データ" を "インプット" し、 "脳" における "側頭連合野" に "格納" するようである。
 しかし、昨日の実話でも明らかなように、それらは無意識の海にただただ漂って「存在」するのみである。
 そして、それらを人間的な「知識」にまで "浮上" させるには、 "意識" の側からの "ブラックボックス" を介した "働きかけ" が必須となるようだ。 "記憶" という視点でいうならば、 "思い出そうとする" 苦痛にも近い脳活動の営為であり、また、昨日の話のように、その「存在」をダイレクトに明かす微細な脳波を読み取りに行くシステムで迫るしかない。
 つまり、 "何らかの理由" によって、「存在」としての "記憶データ" と、自覚できる「知識」との間は、解き難い "ブラックボックス" で遮断されているわけだ。
 この "理由" を簡単に決めつけるならば、もし、膨大な量の「存在」としての "記憶データ" が、そのまま "意識" 上の情報や知識に変換されたならば、それこそ脳活動の "CPU" が超加熱してクラッシュしてしまうからではなかろうか。
 人間は、 "忘却" という "安全弁" によって正常な脳活動と平常心とをキープしているらしいが、そもそも感覚器官からの "記憶データ" の "インプット" 過程そのものが、 "意識" を自動的に "スルー" させるように "仕上がって" いるかのようである...... (2010.02.05)













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