人間と人間とが通常の "言葉" を介した会話ではなく、 "脳" を対象とした(脳波やその他の)測定機器を介して「意思疎通」や「会話」をするという可能性はいろいろと試されているようだ。
先日は、<脳内の無意識の記憶データとの "交信" とも言える "脳指紋=脳波P300" >という実に興味深い事例について書いた。( ex. 2010.02.04)
今回は、 "意識が無い" と目される、いわゆる "植物状態" と思われる人との "交信" 、「会話」に関する報道記事である。
<植物状態の人と「会話」 質問に脳が反応、分析 米医学誌掲載
【ワシントン=勝田敏彦】交通自己や脳卒中などで脳が損傷し、意識がないと考えられている患者との間で、機能的磁気共鳴断層撮影(fMRI)を使って「会話」することに、英国とベルギーの医療チームが成功した。声をかけても反応がみられないことなどから「植物状態」と診断された患者にも、意識がある可能性を示している。
3日付の米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン電子版に論文が掲載された。
医療チームは、植物状態またはそれに近い「最小意識状態」と診断された患者54人に「テニスボールを打つところ」「自宅の部屋を歩いているところ」をそれぞれ想像するよう口頭で指示し、fMRIで脳の活動を調べた。
すると、多くの患者の脳は無反応だったが、5人だけは脳に障害がない、健康な16人と同じ反応を示し、意識があるらしいことが分かった。
チームはさらに、交通事故で植物状態になった男性との会話を試みた。「兄弟がいますか」といったいくつかの質問に対し、「はい」ならテニスを、「いいえ」なら自宅を創造するように指示したところ、男性は正しく回答した。
研究から、植物状態の患者との間で一定の意思疎通ができる可能性が示されるが、治療の継続を望むかどうかを患者に尋ねたりすることには、倫理的な課題もありそうだ。
「全国遷延性意識障害・家族の会」のウェブサイトによると、日本で植物状態の患者は一万五千~二万七千人と推定されている。>(2010.02.06 朝日新聞夕刊)
先日は、<脳内の無意識の記憶データとの "交信" とも言える "脳指紋=脳波P300" >という実に興味深い事例について書いた。( ex. 2010.02.04)
今回は、 "意識が無い" と目される、いわゆる "植物状態" と思われる人との "交信" 、「会話」に関する報道記事である。
<植物状態の人と「会話」 質問に脳が反応、分析 米医学誌掲載
【ワシントン=勝田敏彦】交通自己や脳卒中などで脳が損傷し、意識がないと考えられている患者との間で、機能的磁気共鳴断層撮影(fMRI)を使って「会話」することに、英国とベルギーの医療チームが成功した。声をかけても反応がみられないことなどから「植物状態」と診断された患者にも、意識がある可能性を示している。
3日付の米医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン電子版に論文が掲載された。
医療チームは、植物状態またはそれに近い「最小意識状態」と診断された患者54人に「テニスボールを打つところ」「自宅の部屋を歩いているところ」をそれぞれ想像するよう口頭で指示し、fMRIで脳の活動を調べた。
すると、多くの患者の脳は無反応だったが、5人だけは脳に障害がない、健康な16人と同じ反応を示し、意識があるらしいことが分かった。
チームはさらに、交通事故で植物状態になった男性との会話を試みた。「兄弟がいますか」といったいくつかの質問に対し、「はい」ならテニスを、「いいえ」なら自宅を創造するように指示したところ、男性は正しく回答した。
研究から、植物状態の患者との間で一定の意思疎通ができる可能性が示されるが、治療の継続を望むかどうかを患者に尋ねたりすることには、倫理的な課題もありそうだ。
「全国遷延性意識障害・家族の会」のウェブサイトによると、日本で植物状態の患者は一万五千~二万七千人と推定されている。>(2010.02.06 朝日新聞夕刊)
この「会話」で活用された装置は、いわゆる "MRI" に属するもので、われわれも "脳内状態の診断" では使ったりもする。加齢によってできる小さな "脳梗塞" 部分などが写し出され、なるほどこれが "健忘症" の原因か......、なぞと納得させられたり......。
今回の "fMRI" というのがどういった性能を発揮するのかはわからないが、 "血流" の有りようを "色" の違いで変換表示したりするものなのかもしれない。
「はい」や「いいえ」を、<「テニスボールを打つところ」「自宅の部屋を歩いているところ」をそれぞれ想像するよう口頭で指示>した上での、その脳内の "反応" を測定するというのがミソなのであろう。多分、「テニスボールを打つところ」や「自宅の部屋を歩いているところ」などといった "想像" には、手足の筋肉系の神経への副次的な信号発信などが伴い、 "特殊な脳活動" が認められる、という道理なのであろう。
それにしても、外界そして他者との "交信" からまったく閉ざされてしまった "脳" とその当人の "人格" とが、こうした試みによってわずかでも解放されるのは、やはり感動的なことだと思われる。
自身が、もし "植物状態" に置かれつつ、なおかつ微かな思考力を持ち続けていたとするならば、外界や他者との "交信" から遮断されたその場合の静寂と暗闇は、どんなに比類なき苦痛であるかを想像したりする...... (2010.02.08)
今回の "fMRI" というのがどういった性能を発揮するのかはわからないが、 "血流" の有りようを "色" の違いで変換表示したりするものなのかもしれない。
「はい」や「いいえ」を、<「テニスボールを打つところ」「自宅の部屋を歩いているところ」をそれぞれ想像するよう口頭で指示>した上での、その脳内の "反応" を測定するというのがミソなのであろう。多分、「テニスボールを打つところ」や「自宅の部屋を歩いているところ」などといった "想像" には、手足の筋肉系の神経への副次的な信号発信などが伴い、 "特殊な脳活動" が認められる、という道理なのであろう。
それにしても、外界そして他者との "交信" からまったく閉ざされてしまった "脳" とその当人の "人格" とが、こうした試みによってわずかでも解放されるのは、やはり感動的なことだと思われる。
自身が、もし "植物状態" に置かれつつ、なおかつ微かな思考力を持ち続けていたとするならば、外界や他者との "交信" から遮断されたその場合の静寂と暗闇は、どんなに比類なき苦痛であるかを想像したりする...... (2010.02.08)
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