今日は一日、 "チリ地震津波情報" が列島中を震撼させ続けた。住民や船舶関連などが避難行動で割いたエネルギーは決して小さくなかったようだが、悲惨な大被害に見舞われずに済みそうなのが何よりも不幸中の幸いだと思われる。ただ、まだ第二波への警戒は解除されないようではあるが......。
それにしても、太平洋を遥かに挟み何千キロと離れた地域での自然現象が、一日ほどの時間のズレはあったものの、その "対岸" である日本列島に確実なかたちで影響を及ぼすという自然現象の因果連関には目を見張らざるを得ない。
50年以前にも、今回と同じ "チリ地震津波" が宮城県三陸沿岸に甚大な被害を及ぼすという過去があった。当時の状況、つまり被害を受けるに至る経緯がどうであったのかはよく思い出せない。少なくとも、今回のような "リアルタイム性" に満ち満ちた状況ではなかったのではないか。
それにしても、太平洋を遥かに挟み何千キロと離れた地域での自然現象が、一日ほどの時間のズレはあったものの、その "対岸" である日本列島に確実なかたちで影響を及ぼすという自然現象の因果連関には目を見張らざるを得ない。
50年以前にも、今回と同じ "チリ地震津波" が宮城県三陸沿岸に甚大な被害を及ぼすという過去があった。当時の状況、つまり被害を受けるに至る経緯がどうであったのかはよく思い出せない。少なくとも、今回のような "リアルタイム性" に満ち満ちた状況ではなかったのではないか。
しかし、今回は、前回の体験と教訓があり、また観測技術の発展もあり、そして今日は日曜日ということもあってか、刻一刻と "リアルタイム" に推移する恐ろしい自然現象に日本中の人々の関心が集中したかと思われる。
東京マラソンに熱中した人々もいただろうが、バンクーバー・オリンピックも峠を越したそんな空隙に、よくもこんな自然現象が訪れたものだと思った。
ただ、妙な表現をすれば、こうした事態に遭遇したことは、われわれ現代人にとっては災難という面ばかりではなかったようにも思える。
とかくわれわれは、世界各地での出来事を、距離を置いて "他人事" のように受けとめる習性に染まりがちであった。日々、怒涛のように押し寄せる "情報津波" に接していると、そうでもしなければ "身が持たない" という理屈も成り立たないわけではない。
だが、現代の "グローバリズム環境" にあっては、空間的距離も時間的ズレも圧倒的に縮小されてしまい、事の影響から免れられるような "安全地帯" というものが見つかりにくくなり、その分、 "他人事" として済ます暢気さがなかなか難しくなっていそうだ。
時代環境は、もはや "対岸の火事" というような "閉鎖社会" ならではの暢気な言葉を死語とさせるような迫り方をしていそうだ。が、なかなか、そうした事実を了解し切れないのが人間の性(さが)というものかもしれない。
ところが、今回の状況は、自然現象(グローバリズムというような人間世界固有の出来事ではない)自体が、地球環境規模での密接な "関係性" とでもいうものをまざまざと知らせてくれたような気がするのである。
すでにこうした自然における地球環境規模での密接な "関係性" については、 "地球温暖化問題" で執拗に牽制されてはいたはずである。にもかかわらず、今ひとつ......であった嫌いがある。
だが、今日、こうしてメディアの生々しい映像を通じて、しかも "リアルタイム" に注意を喚起させられると、見て見ぬ振りをしていたものをありありと見せつけられたような気がしてならない。
もはや "対岸の火事" という "他人事" の眼差しは、この現代という "緊急時間帯" においては "不都合極まりない" のではないか、と...... (2010.02.28)
東京マラソンに熱中した人々もいただろうが、バンクーバー・オリンピックも峠を越したそんな空隙に、よくもこんな自然現象が訪れたものだと思った。
ただ、妙な表現をすれば、こうした事態に遭遇したことは、われわれ現代人にとっては災難という面ばかりではなかったようにも思える。
とかくわれわれは、世界各地での出来事を、距離を置いて "他人事" のように受けとめる習性に染まりがちであった。日々、怒涛のように押し寄せる "情報津波" に接していると、そうでもしなければ "身が持たない" という理屈も成り立たないわけではない。
だが、現代の "グローバリズム環境" にあっては、空間的距離も時間的ズレも圧倒的に縮小されてしまい、事の影響から免れられるような "安全地帯" というものが見つかりにくくなり、その分、 "他人事" として済ます暢気さがなかなか難しくなっていそうだ。
時代環境は、もはや "対岸の火事" というような "閉鎖社会" ならではの暢気な言葉を死語とさせるような迫り方をしていそうだ。が、なかなか、そうした事実を了解し切れないのが人間の性(さが)というものかもしれない。
ところが、今回の状況は、自然現象(グローバリズムというような人間世界固有の出来事ではない)自体が、地球環境規模での密接な "関係性" とでもいうものをまざまざと知らせてくれたような気がするのである。
すでにこうした自然における地球環境規模での密接な "関係性" については、 "地球温暖化問題" で執拗に牽制されてはいたはずである。にもかかわらず、今ひとつ......であった嫌いがある。
だが、今日、こうしてメディアの生々しい映像を通じて、しかも "リアルタイム" に注意を喚起させられると、見て見ぬ振りをしていたものをありありと見せつけられたような気がしてならない。
もはや "対岸の火事" という "他人事" の眼差しは、この現代という "緊急時間帯" においては "不都合極まりない" のではないか、と...... (2010.02.28)
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