"チリ大地震" は復旧もままならぬかたちで、刻一刻と過ぎる時間とともに被災者数が膨れ上がっているようだ。巨大地震の災害規模というのは、通信網が寸断されるだけに、深刻な状況がなかなか掴みづらく、そして伝わりにくい。
チリの現地ではもちろん苦痛、苦悩が頂点に達していることだろうが、遠く離れた国々で暮らすチリ出身者や関係者たちの不安や心配も、この "音信不通" 状態では計り知れないものがありそうだ。
ちなみに、ちょうど一年前に、我が家で "救命" した子猫、 "ミミ" を貰ってくれたご家族のご主人がチリの出身者だったそうだ。しかも、しばしばTV報道で登場するコンセプシオン出身だとか。
家内が何気なくそのことを思い起こしたのである。それで、その奥さんにメールをしたところ、やはり現地と電話が通じなくて、親戚・友人・知人の安否を大変気遣っておられるとのことであった。
去年の今頃はケータイのメールで、その後の "ミミ" の様子などが写真添付で送られてきたりしていた。どこにでもありそうなケータイ・メールを通じた手軽なコミュニケーションである。
自分は、もともとケータイやケータイ・メールを活用する方ではなく、この方がめずらしい位に、もはやこの便利なツールは一般的となっている。いや、ケータイはこの現代の日常生活にとっては不可欠だというステイタスさえ獲得していそうだ。
だが、ケータイという便利な通信ツールは、 "巨大なITインフラ" に浮かぶ木の葉のようなものであり、もしその "インフラ" が中枢部の機能麻痺に陥ったとしたら、目も当てられない事態が引き起こされるわけであろう。
現に、 "チリ大地震" ではそうした "インフラ" が壊滅的に崩壊した模様であり、パーソナルな日常的コミュニケーション不能どころか、重要な社会的機能を麻痺させる結果となっているようだ。
こんな文脈でふと思い至るのが、 "アマチュア無線、HAM" なのかもしれない。
実際、あの "阪神・淡路大震災" の際には、 "ボランティア活動" が一定の成果を挙げたと報告されている。
<震災時のように、被災者に対する緊急のヒト・モノの適切や援助が必要な時には、とりわけ迅速な情報伝達の意義は大きい。しかし先の阪神・淡路大震災において、情報通信ネットワークの物理的被害に加えて被災地への電話などの殺到から、情報通信の大規模な輻輳が生じた。このようなときに非常時通信において少なくない貢献を果たしたのがアマチュア無線によるボランティア活動であった。郵政省などの報告書「2」においても、「非常時におけるアマチュア無線の有効活用を図るため、アマチュア無線のボランティアという性格に配慮しつつ、その組織など体制の整備について検討する必要がある」と指摘している。......
阪神・淡路大震災に際し、JARL、JAIA、郵政省の3者で協議し、郵政省は非常通信のための免許手続きを簡略化し、JAIAは無線機を提供し、JARLがそれを被災地に配ってボランティアの募集を行った。1月17日震災の1週間後から4月15日までの間、1000人以上のハム、15以上のグループが活動した。活動は、全非常無線局の統括と活動報告の集中・アナウンス、被災地に殺到した緊急物資の配送通信サポート、被災者への情報提供、各地から集まったボランティア同士の通信支援などにわたって行われた[3]。......
震災時におけるアマチュア無線ボランティアの経験は、本来このようなときこそその機能を遺憾なく発揮すべき携帯電話などが機能せず、日常の通信手段としては副次的役割であったアマチュア無線という媒体がクローズアップされたことに加え、こうしたメディアを介してつながった意欲的な個人のネットが、震災時という緊急事態に対して有効に機能したことを物語っている。その意味でこれらの活動は、アマチュア無線従事者たちが情報社会の中での有効なボランティアの一つのあり方を身体で経験し、社会一般に対しても一つのモデルを提起した意義を持っている。>( 「阪神・淡路大震災における非常通信の機能―JARL兵庫県支部の活動記録より―」)
とにかく、日頃、当たり前のことだと感じている "情報通信網" が、いざという災害時には "無効" となる可能性が十分に潜伏しているわけだ。
他の "ライフライン" の確保も言うまでもなく重要なことである。が、時間を争う支援と復旧の活動に、いわば "レバレッジ的効果" を期するには、やはり何といっても "非常時通信" 手段とその体制を早急に立ち上げることであろう。そして、それは偏に "平常時での備え" に掛かっていそうである...... (2010.03.02)
コメントする