クルマが "バッテリー上がり" になってしまった。
原因は明瞭だ。最近はほとんど利用しないためセルフ充電がなされないこと、そしてこの寒さのため、バッテリー液が機能低下したためである。
こうなると、ブースター・ケーブルでつないでエンジン起動を図ってもいいのだが、まだここしばらくは寒さが続きそうなので、クルマからバッテリーを外して屋内に入れ、 "バッテリー充電器" で時間を掛けて充電することにした。
若い頃、格安の中古車に乗っていた当時は、冬場になると "バッテリー上がり" に見舞われ、しばしば "バッテリー充電器" で対処したものであった。
当時は比較的走らせることが少なくなかったにもかかわらず、そんなことがたびたび発生していた。整備士に調べてもらうと、バッテリー自体が古いだけではなく、クルマ本体側のセル・モーター近辺の部品の劣化が原因だとかであり、それを直すには相応の修理費が嵩むということだったかと思う。
ならば、マメに "バッテリー充電器" で対処しようと思ったのだった。
が、一々、バッテリーをクルマから降ろすのは面倒過ぎると考えた。そこで、 "バッテリー充電器" 側のケーブルを延長し、ボンネットを半開きにしながら、オンラインで "一晩掛けて" 充電するという "のどかなこと" をしていたのである。
最近は、 "ハイブリッドカー" や "電気自動車" が注目され、ガソリン注入ならぬ、 "ケーブル使用による充電" の光景がTVなどでも映し出される。しかし、そんな光景を見ると、なぁに、自分なんぞはもう何十年も前に "同じようなこと(?)" をやっていたさ......、と思わないわけでもないのである。
原因は明瞭だ。最近はほとんど利用しないためセルフ充電がなされないこと、そしてこの寒さのため、バッテリー液が機能低下したためである。
こうなると、ブースター・ケーブルでつないでエンジン起動を図ってもいいのだが、まだここしばらくは寒さが続きそうなので、クルマからバッテリーを外して屋内に入れ、 "バッテリー充電器" で時間を掛けて充電することにした。
若い頃、格安の中古車に乗っていた当時は、冬場になると "バッテリー上がり" に見舞われ、しばしば "バッテリー充電器" で対処したものであった。
当時は比較的走らせることが少なくなかったにもかかわらず、そんなことがたびたび発生していた。整備士に調べてもらうと、バッテリー自体が古いだけではなく、クルマ本体側のセル・モーター近辺の部品の劣化が原因だとかであり、それを直すには相応の修理費が嵩むということだったかと思う。
ならば、マメに "バッテリー充電器" で対処しようと思ったのだった。
が、一々、バッテリーをクルマから降ろすのは面倒過ぎると考えた。そこで、 "バッテリー充電器" 側のケーブルを延長し、ボンネットを半開きにしながら、オンラインで "一晩掛けて" 充電するという "のどかなこと" をしていたのである。
最近は、 "ハイブリッドカー" や "電気自動車" が注目され、ガソリン注入ならぬ、 "ケーブル使用による充電" の光景がTVなどでも映し出される。しかし、そんな光景を見ると、なぁに、自分なんぞはもう何十年も前に "同じようなこと(?)" をやっていたさ......、と思わないわけでもないのである。
ところで、クルマに限らないのだが、こうした "自前" での "対処法" を講じることが、結構、自分は好きなようである。 "貧乏性" と言ってしまえばそれまでだ。が、むしろ "遣り甲斐" とか "自力救済" とでも言うべきことにこだわろうとしているのだと思いたい。
言うまでもなく、現代という時代環境では、対価を払えば何だって肩代わり、代行が頼める。スマートに生きようとするならば、そうしたサービスを適時活用して、自分は "より稼げる仕事" に邁進すべきなのであろう。そうありたいものではある。が、実情はまったく逆のダサイ振る舞い方をしていそうである。
ただ、スマートさを標榜する現代ではあるが、社会や国家は本当にスマートであり続けられるのだろうか......、という "不信感" が拭い切れないでいるのも事実である。
"巨大な財政赤字" と "国家の財政破綻" という危機の可能性! 現在の国家状況は、まるで全身をスマートに着飾った者が、足元だけは "裸足" か "ボロ靴" で済ましているような "アンバランス" だからである。
そして、現代社会は、あたかも "秀吉による刀狩り" のように人々から "自給自足" のための手段と能力とを召し上げておきながら、 "破局" に至っても到底必要なリカバリーができないと来たら、人々はあらゆる点、可能な限りの "自前力" に関心を向けておくしかないような気がするのである。
庶民の "自前力" ・"自力救済" 力・"自給自足" 力なぞは、高が知れたものであることは疑う余地はない。ただ、今や、 "親方日の丸" だの "安全神話"だのという、見る見るうちに腐食劣化してしまった言葉などにとてもすがれる事態ではなさそうな気がする。
社会や国家が何とかしてくれるという "妄信" からは漸次醒めるべし、か...... (2010.03.07)
言うまでもなく、現代という時代環境では、対価を払えば何だって肩代わり、代行が頼める。スマートに生きようとするならば、そうしたサービスを適時活用して、自分は "より稼げる仕事" に邁進すべきなのであろう。そうありたいものではある。が、実情はまったく逆のダサイ振る舞い方をしていそうである。
ただ、スマートさを標榜する現代ではあるが、社会や国家は本当にスマートであり続けられるのだろうか......、という "不信感" が拭い切れないでいるのも事実である。
"巨大な財政赤字" と "国家の財政破綻" という危機の可能性! 現在の国家状況は、まるで全身をスマートに着飾った者が、足元だけは "裸足" か "ボロ靴" で済ましているような "アンバランス" だからである。
そして、現代社会は、あたかも "秀吉による刀狩り" のように人々から "自給自足" のための手段と能力とを召し上げておきながら、 "破局" に至っても到底必要なリカバリーができないと来たら、人々はあらゆる点、可能な限りの "自前力" に関心を向けておくしかないような気がするのである。
庶民の "自前力" ・"自力救済" 力・"自給自足" 力なぞは、高が知れたものであることは疑う余地はない。ただ、今や、 "親方日の丸" だの "安全神話"だのという、見る見るうちに腐食劣化してしまった言葉などにとてもすがれる事態ではなさそうな気がする。
社会や国家が何とかしてくれるという "妄信" からは漸次醒めるべし、か...... (2010.03.07)
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