何とかならないものかと "深刻な事態" を案じる。この春に向けた "就職内定率" (今春卒業予定の大学生・高校生の就職内定率)が "8割" だという現実のことだ。
これからが人生の "本番" だという、伸び盛りの若い人たちの活動の場が無いということは、本人たちもさぞかし無念で、また肩身の狭い思いに苛まれていることだろう。
と同時に、ただでさえ "少子化傾向" の深まりで新しい就労人口が心もとないそんな時に、社会が "ルーキー" を迎え入れたり、育てたりすることができないというのは、とてつもなく大きな "社会的損失" であると思われる。
<卒業予定の2割が就職決まらず 大学・高校生調査
今春卒業予定の大学生の就職内定率は2月1日現在で前年同期に比べ6・3ポイント低下し、80・0%だったことが12日、厚生労働、文部科学両省の調査で分かった。比較できる2000年の調査以降、過去最低で、同年前後の「就職氷河期」よりも依然として低い。
高校生の内定率は1月末現在で6・4ポイント下回る81・1%。過去最低だった03年の74・4%を上回ったが、就職氷河期と同程度の厳しさとなっている。
厚労省は「景気の動向による影響が大きく、企業も求人を出せない状況が続いているのではないか」としている。
調査は全国の国公私立大の62校を抽出し、就職希望者に占める内定者の割合を調べた。調査結果と文科省の学校基本調査から推計すると、約56万人の大学生が今春卒業予定で、就職を希望する40万5千人のうち内定しているのは32万4千人にとどまっている。
高校、中学は厚労省がハローワークと学校を通じて調べた。>( 2010/03/12 16:26 【共同通信】)
これからが人生の "本番" だという、伸び盛りの若い人たちの活動の場が無いということは、本人たちもさぞかし無念で、また肩身の狭い思いに苛まれていることだろう。
と同時に、ただでさえ "少子化傾向" の深まりで新しい就労人口が心もとないそんな時に、社会が "ルーキー" を迎え入れたり、育てたりすることができないというのは、とてつもなく大きな "社会的損失" であると思われる。
<卒業予定の2割が就職決まらず 大学・高校生調査
今春卒業予定の大学生の就職内定率は2月1日現在で前年同期に比べ6・3ポイント低下し、80・0%だったことが12日、厚生労働、文部科学両省の調査で分かった。比較できる2000年の調査以降、過去最低で、同年前後の「就職氷河期」よりも依然として低い。
高校生の内定率は1月末現在で6・4ポイント下回る81・1%。過去最低だった03年の74・4%を上回ったが、就職氷河期と同程度の厳しさとなっている。
厚労省は「景気の動向による影響が大きく、企業も求人を出せない状況が続いているのではないか」としている。
調査は全国の国公私立大の62校を抽出し、就職希望者に占める内定者の割合を調べた。調査結果と文科省の学校基本調査から推計すると、約56万人の大学生が今春卒業予定で、就職を希望する40万5千人のうち内定しているのは32万4千人にとどまっている。
高校、中学は厚労省がハローワークと学校を通じて調べた。>( 2010/03/12 16:26 【共同通信】)
確かに社会情勢の現状は、至るところほころび、そして病んでいる。生活者たち、高齢者たちが日々不安の中で呻吟する思いとなって生活している。
そんな中で、人々が心の支えになり得るものがあるとすれば、 "きっと将来は良くなる" という淡い期待感なのかもしれない。そして、その眼差しは、 "次世代" の若い人たちに注がれるのではなかろうか。
先日も、ある高齢者の方と話をしていて、この袋小路のように閉塞した時代環境であっても、若い世代の中にはこの分厚い壁を打ち破ろうとしている人たちもいる......、という話題に触れたところ、大層喜んでおられたのには驚いた。
今現在が苦しくて精一杯耐えている者にとって、若い世代による将来に希望を託す、というのは、人間としてきわめて当然なことなのであろう。
だから、その若い世代が積極的に活動し、活躍できる、そんな環境を "先行者たち" は最大限作ろうとしなければならないわけだ。
このことはさまざまな場面で行われるべきであろうが、社会的場面では何をおいても "働く場" の提供ということになるに違いなかろう。
そしてこの課題は、若い世代側にとっての課題というだけでなく、冒頭にも触れたように、社会側が真剣に次世代や将来を見据えるならば、この課題の最適解答が案出できない限り "先細り" の未来しか望めない、ということになりそうである。
危機に瀕した "国家財政" をどう回避、変革して行くのかという課題も重い。しかし、 "新しい世代と人材" あっての "新しい経済" であり、 "新財政構築" であることも否めない。
"子ども手当て" にしたところがすったもんだと騒ぎ、ようやく先進諸国の常識的水準に至るかどうかという呆れた感覚の国家である。まあ、新政権がどうこうというよりも、これまで無策と暴政とで逃げまくっていた自民党政権の負の遺産と言った方が妥当ではあろう。
口を開けば "企業の国際競争力" だと馬鹿の一つ覚えを唱える方々に言いたいが、もっとまともな視野とパースペクティブとをもって、差し迫る惨めなこの国の将来としっかり直面してほしいものである。
なんだかんだと言い訳ばかりをして、 "私企業" の "財務状況" だけにしがみついているのは "みっともない限り" ではないか...... (2010.03.12)
そんな中で、人々が心の支えになり得るものがあるとすれば、 "きっと将来は良くなる" という淡い期待感なのかもしれない。そして、その眼差しは、 "次世代" の若い人たちに注がれるのではなかろうか。
先日も、ある高齢者の方と話をしていて、この袋小路のように閉塞した時代環境であっても、若い世代の中にはこの分厚い壁を打ち破ろうとしている人たちもいる......、という話題に触れたところ、大層喜んでおられたのには驚いた。
今現在が苦しくて精一杯耐えている者にとって、若い世代による将来に希望を託す、というのは、人間としてきわめて当然なことなのであろう。
だから、その若い世代が積極的に活動し、活躍できる、そんな環境を "先行者たち" は最大限作ろうとしなければならないわけだ。
このことはさまざまな場面で行われるべきであろうが、社会的場面では何をおいても "働く場" の提供ということになるに違いなかろう。
そしてこの課題は、若い世代側にとっての課題というだけでなく、冒頭にも触れたように、社会側が真剣に次世代や将来を見据えるならば、この課題の最適解答が案出できない限り "先細り" の未来しか望めない、ということになりそうである。
危機に瀕した "国家財政" をどう回避、変革して行くのかという課題も重い。しかし、 "新しい世代と人材" あっての "新しい経済" であり、 "新財政構築" であることも否めない。
"子ども手当て" にしたところがすったもんだと騒ぎ、ようやく先進諸国の常識的水準に至るかどうかという呆れた感覚の国家である。まあ、新政権がどうこうというよりも、これまで無策と暴政とで逃げまくっていた自民党政権の負の遺産と言った方が妥当ではあろう。
口を開けば "企業の国際競争力" だと馬鹿の一つ覚えを唱える方々に言いたいが、もっとまともな視野とパースペクティブとをもって、差し迫る惨めなこの国の将来としっかり直面してほしいものである。
なんだかんだと言い訳ばかりをして、 "私企業" の "財務状況" だけにしがみついているのは "みっともない限り" ではないか...... (2010.03.12)
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