相変わらず10度未満という肌寒さが続いている。が、もう4月になろうとしているのだからいくら何でもこんな冴えない日は続かないだろう。天気予報でも、明日あたりから10度を上回る陽気になるとかだ。
そんな中、戸外を歩くと、桜を初めとしてさまざまな樹木が目に映える色の花を咲かせ始めている。
先日もウォーキングの際、遊歩道に面した庭で鮮やかに花を咲かせ、満開となった一本の樹木を巡って他愛無い会話をしているのが聞こえてきた。
「綺麗に咲きましたね。これは何という木ですか?」
と、通りすがりの初老男性が、庭の中のその家の主人に話しかける。
「知らないのかおとぼけなのかわからないけど、これは桜ですよ! ええ桜ですよ!」
何とも、その主人の "素っ気ない受け応え" に、こちらまで違和感を感じたものだった。当の桜の木にしても、せっかくその咲きっぷりの見事さを誉めようとしてくれているのだから、主人のその対応を苦々しく思っていたに違いなかろう。
確かに、その木は桜は桜なのだろうけれど、われわれが "花見" の場で仰ぐ桜とは異なっている。高さも人の背丈程であり小振りな姿であった。自分とて、一見、遅咲きの梅かなんぞと思ったりしていた。よくはわからないが、きっと、早咲きの、名のある種類の桜なのではあろう。
そんな中、戸外を歩くと、桜を初めとしてさまざまな樹木が目に映える色の花を咲かせ始めている。
先日もウォーキングの際、遊歩道に面した庭で鮮やかに花を咲かせ、満開となった一本の樹木を巡って他愛無い会話をしているのが聞こえてきた。
「綺麗に咲きましたね。これは何という木ですか?」
と、通りすがりの初老男性が、庭の中のその家の主人に話しかける。
「知らないのかおとぼけなのかわからないけど、これは桜ですよ! ええ桜ですよ!」
何とも、その主人の "素っ気ない受け応え" に、こちらまで違和感を感じたものだった。当の桜の木にしても、せっかくその咲きっぷりの見事さを誉めようとしてくれているのだから、主人のその対応を苦々しく思っていたに違いなかろう。
確かに、その木は桜は桜なのだろうけれど、われわれが "花見" の場で仰ぐ桜とは異なっている。高さも人の背丈程であり小振りな姿であった。自分とて、一見、遅咲きの梅かなんぞと思ったりしていた。よくはわからないが、きっと、早咲きの、名のある種類の桜なのではあろう。
つまり、自然の姿はサラリとして麗しい光景へと移り行く頃なのだが、人の対応、人の心には、どうも何かに "毒突く" 気配が漂っていていけない。
「お目に留まりましたか。これでも桜なんですよ。実は、○○△□桜と言いましてね、一般に目にする桜よりもやや早目に満開となるんです......」
くらいの愛嬌ある言葉で応じても何を損することがあろうかと......。
やや生活に疲れた風情であったその主人は、誰もがそうであるのかもしれないように、わけのわからないこのご時世全般に言い知れない不満染みたものを感じているのかもしれない。 "ガス抜き" さえままならない形での、憤懣やるかたない気体が身体中に充満していたのかもしれない......。
一頃 "流行った" 例の "誰でもよかった......" の "おじさん版" とでも言うべきか。暢気そうに歩いている者に対しては、ひとつ "鬱憤" を晴らしてやる......とでも言うような "棘" めいたものが感じられたものだった。
そこへ行くと、自然の姿は実にサラリとしている。現に、遊歩道脇に並べて植え込まれている山茶花の植木なんぞは、つい先ごろ、花の盛りが終わったかと思われた時季に、こぞって "大剪定" を喰らい、太い枝の切り口を痛々しく見せているものの、決して "憎まれ口" を叩くでもなく静かに並んでいるのだ。もうしばらくすれば、きっと傷口を隠すかのように新芽を吹き出すことであろう。
凍てついてでもいるかのような、このご時世の人々の心を、サラリと気の利いた "ガス抜き" をして、ぱっと花でも咲かせるような、そんな御仁はいないものであろうか。
まあせめて、暖かい春の陽射しだけでも一刻も早く訪れてもらいたいもの...... (2010.03.29)
「お目に留まりましたか。これでも桜なんですよ。実は、○○△□桜と言いましてね、一般に目にする桜よりもやや早目に満開となるんです......」
くらいの愛嬌ある言葉で応じても何を損することがあろうかと......。
やや生活に疲れた風情であったその主人は、誰もがそうであるのかもしれないように、わけのわからないこのご時世全般に言い知れない不満染みたものを感じているのかもしれない。 "ガス抜き" さえままならない形での、憤懣やるかたない気体が身体中に充満していたのかもしれない......。
一頃 "流行った" 例の "誰でもよかった......" の "おじさん版" とでも言うべきか。暢気そうに歩いている者に対しては、ひとつ "鬱憤" を晴らしてやる......とでも言うような "棘" めいたものが感じられたものだった。
そこへ行くと、自然の姿は実にサラリとしている。現に、遊歩道脇に並べて植え込まれている山茶花の植木なんぞは、つい先ごろ、花の盛りが終わったかと思われた時季に、こぞって "大剪定" を喰らい、太い枝の切り口を痛々しく見せているものの、決して "憎まれ口" を叩くでもなく静かに並んでいるのだ。もうしばらくすれば、きっと傷口を隠すかのように新芽を吹き出すことであろう。
凍てついてでもいるかのような、このご時世の人々の心を、サラリと気の利いた "ガス抜き" をして、ぱっと花でも咲かせるような、そんな御仁はいないものであろうか。
まあせめて、暖かい春の陽射しだけでも一刻も早く訪れてもらいたいもの...... (2010.03.29)
コメントする