名古屋に住んでいた頃の話だ。今でも健在なのかどうかは知らないが、 "明治村" という観光名所に行ったことがあった。そこは、明治時代の歴史的建造物が展覧してあり、それらによって、 "村" というよりもちょっとした "街角" が形成されていた。
訪れたその日は、あいにくと小雨が降る肌寒い天候だったかと思う。そうした天候も手伝ってか、その "街角" の雰囲気は当初から "見覚え感" を誘う、何だかとても懐かしい気配を漂わせていたかに覚えている。
ところで、昔、 "仁丹" の "看板" があったかと思う。覚えている人も少なくなったかと思うが、ポスター大の大きさの鉄板に、 "仁丹" の登録商標である制服姿の "軍人" が図案化された絵(ビスマルク像?)と、特殊な字体での "仁丹" という文字が描かれているというシンプルながら印象的なものである。
どういうものか、自分は、この "看板" の存在に "明治" という時代を感じる、そんな "条件反射" が刷り込まれている。
その日訪れた "明治村" の "街角" は、ちょうど、この "仁丹" の "看板" をキー・コンセプトとしているような雰囲気が立ち込めていたかに思えたのであった。
とある木造の建物の前に立つと、その玄関の軒下には、直径20センチほどであろうか、球形をしたガラス玉の電灯がぶら下がっていた。そのガラス玉の色が濃紺であったのが印象的であったが、そう言えば、子どもの頃の記憶に、病院とか医院の玄関にそんなものがあったような気がしたものだった。見るからに、 "セピア色" の空気で満ちた光景であった。もうほとんど "催眠状態" に入っていたのかもしれない。
そして、別な、これまた木造の、いかにも明治の建物と思しき建造物に入った。その時であった。あっ、ここは以前に来たことがある! ...... という "デジャブ(既視感)" な感覚に襲われたのである。
床は、油を染み込ませたような仕様の板張りで、黒々としている。もちろん、染み込んだ油が部屋中に特有の臭いを醸し出していた。歩けば、靴底で響く音と、床板が軋む音とが混ざり合い、部屋の中に共鳴していた。
その建物は、定かには覚えていないが、何かの "役所" として使われていたものだったかもしれない。
そう言えば、こうした "造りの部屋" は、幼い頃の "公共の木造建物" に共通したものであっただろう。小学校の建物にしても、この "造り" であり、教室と言わず廊下と言わず、そうした黒々とした油を染み込ませた板張りだったかのように記憶している。
だから、正確な意味での "デジャブ" とは言えないのかもしれない。
と言うのも、本来的な "デジャブ(既視感)" とは、 "記憶の合成" とかから来るようなものではなく、もっと鮮明な感覚であり、 "感覚のダブり" というか、 "感覚のこだま" のように、生理・認知的レベルで発生する "既視感" だとされているからである。自分にもそうした "既視感" を経験したことがあるのでわかる。
むしろ、その時の感覚とは、記憶の下層で煮詰まっていた幼い頃の忘れがたい思い出の欠片(かけら)が、一気に生気を帯びて蘇った結果なのかもしれない。
ことさらこんなことを書くのは、先日、やや大仰に、 「 "つげ義春" の作品の "魅力" は、 "デジャブ" な影が漂っている点か?」(2010.03.30) と書いたが、若干、補足説明があってもいいかと感じているからなのである。
つまり、人には、記憶の下層に堆積している忘れがたい感覚としての記憶というものがあり、それが時として想起されて "活性化" することがある。その時には、当然、目にしたり、感じたりする "きっかけとしての対象物" を、新規に遭遇する物としてよりも、 "既に見た、既に感じた" 物として受容することになりそうである。
"つげ義春" の作品、特に "紀行もの" には、そうした "きっかけとしての対象物" がとても上手く拾い上げられており、見る者が見れば、 "既に見た、既に感じた" 物として受け容れる、つまり "デジャブ" な感覚が刺激される......、のではないか、というほどのことが言いたかったのである。
また、これを敷衍して言うならば、そもそも "紀行" と言うジャンルは、民衆の生活史と密着した土地や風物を対象とすることで、何がしか、今を生きる人々の記憶の底辺にある "琴線" に触れることがありはしないか......、とも思えたのである。
先日、あるTV報道番組( 「買わない消費者 急増中!?/2010年 3月18日(木)放送 クローズアップ現代」 )で、若い世代の間に、地方での農村生活に妙に興味を抱く人たちが少なくない、という紹介を知った。都会生活の味気なさから来る、一種の "先祖がえり" 的現象なのかもしれないが、ことによったら、 "文化的DNA" とでも言えるようなものが、若い世代にも引き継がれていたりして、彼らが、記憶の底辺、奥底にある "琴線" をまさぐっているとしたら......、と根拠もなく想像したのであった...... (2010.04.01)
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