"選抜高校野球" の決勝戦、 "日大三か興南か" をTV観戦している。
東京は町田に居住しているのだから、 "日大三" を応援するのが "順当" なところかもしれない。まあ、それもやぶさかではない。が、何故だか "沖縄の興南" への応援に気分が傾く自分である。特に根拠らしい根拠があるわけではない。現在5回裏、 "興南" は3:1でリードされている。
東京は町田に "所属" (?)しているにもかかわらず、 "順当" な "所属感" が喚起されない自分は天邪鬼(あまのじゃく)なのであろうか? あるいは時代環境は、やはりそれほどに従来型の "所属" というものの "拘束性" を風化させてしまっているのだろうか......。そして、<当たり障りの無い、拘束感の無い "所属" >( 「当たり障りの無い、拘束感の無い "所属" 、それが現代ならではの流儀?」(2010.03.31) )という神出鬼没なかたちを生み落としつつあるのだろうか......。
<拘束感の無い "所属" >の話には変わりないのだが、でもちょっと違うか?
こちらの方は、タイタニック号ならぬ "難破船" から、乗客ではない "上級乗組員" が、まるで "職場放棄" か "戦線離脱" かのごとく、抜け出し、 "所属" を足蹴にするさまなのである。まことに "ぶざま" と言うほかない。
荒海で "新しい船" を突貫工事にて建造するおつもりだそうだが、それはそれで勝手にやっていただいて結構だけれど、それじゃあ、 "難破船" に残された乗客たちや "難破船" 自体はどうなるの? って聞きたいもの。いくら、現行の船長との折合いが悪いからと言ったって、そんな構えでは、どんな船に乗船しようが、「船頭多くして、船、山へ登る」を繰り返すだけなんじゃないですか。
要するに、 "難破船" と命運を共にするというのが嫌だというだけのことなんですよね。そうした好悪を言うならば、そんな "ぶざま" な方々と未来を共にする方がよっぽど嫌だということになりそうですね。
船長たる者は沈む船舶と運命を共にする......、とは、従来の "所属" や "所属感" についての伝説的事実だったかもしれない。多分、そうした "手本" もあってこそ、移ろいやすい人の結束とでも言うものに "示し" がついたのだとも考えられる。
ところが、現代では、 "所属" の対象となる集団・組織は、常に "暫定版(テンポラリー)" でしかない。遂行目的のために形成される "暫定組織" 、 "プロジェクト" 型組織だと言えば聞こえはいいが、口汚く言えば "使い捨て" カイロそのもののようである。
そして、政治家をはじめとする "有能(?)" なリーダーとは、目的の遂行度合いに責任を負うこと以上に、 "使い捨て" の、その時期を見るに "敏" ! ということにでもなりそうである。
"所属" や "所属感" に "示し" をつけるべき責任者の方々がこうであれば、 "ヒラ" メンバーに、いくらその時期を見るに "鈍" であれ! (=組織のために身を粉にせよ!)と諭しても効き目のありようはずがなかろう。
こうして、現代という時代の集団・組織は、益々もって、上から下まで、 "使い捨て" の、その時期を見るに "敏" ! というメンバーで埋め尽くされることになる......。
< "所属" は、従来の "所属" とは比較にならないほどに "緩やか" で "垣根が低い" ものとなっていそうだ。ほとんど、かつての "所属" が随伴させていた "拘束" というものは無いに等しい。逆に言えば、そんなまるで "陽炎(かげろう)" か "空気" のような感触とさえ言える "所属" >(前述日誌)が、現代の集団・組織の基本的性格を決めて行く。
と同時に、集団・組織との関係で成立していたと思われる個人の自立性も、その限りにおいて "不安定さ" にさらされるということになりそうだ。これは、嫌だと言っても、避けがたく継続して行く趨勢のようである...... (2010.04.03)
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