先日、実に "奇妙な社会現象(?)" に関するTV報道番組を観た。薄々気づいてはいた "現象" であったが、ここまで "来てる(?)" のかとやや想定外であった。
先ず概略を以下のとおり示しておこう。
<『"ひとり"が怖い』
今大学生に「友達がいないと思われる」ことを極端に恐れる傾向が高まっているという。一人でいるところを友だちに見られたくないと、トイレにこもって昼食をとる「便所飯」をしている学生もいるという。
専門家は、今の若者は身近な人とのつながりを持っていると実感することが自分の存在感(=自己肯定感)の大きな根拠となっているのではと分析している。
大学側も「キャンパスでの孤独」を防ごうとさまざまな対策に乗り出している。
若者の友だち関係に対する心理を探る。 >(『 "ひとり" が怖い』/NHK 特報首都圏 4月23日(金)19:30~19:55)
自分なぞは、学生時代、頻繁に "学食(学生食堂)" を利用したものであった。混み合う時間帯を敬遠するためか、大体一人で済ますことが多かったかと記憶している。友人と一緒となったらなったで別にそれを拒むことはない。が、自ら、連(つる)んでの会食を望む方ではなかった。下手な考え休むに似たり、ではあっても、一人 "瞑想(?)" なんぞに耽りながらみたいな食事が通例であったか。
まして、傍目で「寂しそう......」なんて思われてはいないか、なんぞと心配するような出来合いの感性はついぞ持ち合わせてはいなかった。
かつて、家内にそんなことを話した時、 "一人寂しく、物凄く" タイプの人はそれはそれよ、とからかわれたことがあった。
そんな、幾分アブノーマルな自分だからでなのか、前述の<「便所飯」をしている学生>というのが、実に "哀れ" に思えてならなかった。 "見得(みえ)" を張って......、と言うよりも、ほとんど、 "いじめ" 状況に遭遇している当事者の "哀れ" に通じるような印象を受けたものだった。
おそらく、この "印象" は当たらずとも遠からずなのであろう。そして、誰が "いじめ" の主犯かと言えば、自身もしくは自分たち、つまり "共同幻想" であり、 "共同正犯" なのだとでも言うべきであろうか......。
これは、まさに昨日書いた "空気支配" という現象の典型のごとくだとさえ思えてくる。 "友だち関係強要" の "空気" が、 "みんなの党" いや "みんなの手" で醸し出されていると思われる。だから、逆に、かつての自分のような "一人寂しく、物凄く" タイプのごとき所業は、 "KY" 野郎だとして詰(なじ)られるに違いなかろう。
こうした現象の理由として、年齢にふさわしい "精神的自立" が未成熟なのだと言うことも可能であろう。しかし、現象の差こそあれ、こうした "空気支配" 的現象が世代を超えて遍く窺えるこのご時世を感じ取るならば、何も、大学生がどうのこうのと限定するには及ばないとも言える。そして、 "われわれ" は総じて "精神的自立" 障害症候群におかされている、と認めた方がすっきりしそうである。
この原因を、国民性に求める性急さを避けつ見当を付けるならば、急速に昂進した既定価値観の崩壊や価値観の多元化のうねりといった現代的時代問題に行き着くのか。
しかし、これとて、いつの時代もそうしたもの......、という "達観" には勝てないのかも......。であれば、とかく想うことすら回避している、人間の基本条件のひとつである "孤独" というテーマに、流し目なりとも送るべき時代なのだと言えばどうか。
それで、当面の問題が解決されるというのではない。ただ、まやかしの現象が渦巻く現実を、少しは見透かせる、そんな "新たな足場" に近づくことができる...... (2010.04.27)
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