誰しもが、自分自身の事であれ社会の問題であれ、 "正解" らしきものが見えてはいるものの、そこへの "具体的な道筋" が描き切れないと言ったもどかしさに苛まれている時代、それが現代という時代なのではなかろうか。
そんな時に、したり顔をして "正解" を滔々とまくしたてる(ふと、自民党党首の弁舌や、とある人気女性経営評論家の顔を思い起こしたり......)のは、実は、今流行りの言葉、"loopy(愚直)" よりもはるかに罪が深い "狡猾な愚鈍" だと言うべきなのかもしれない。
"狡猾な愚鈍" は、問題が孕(はら)んでいる "新たな局面" をいとも簡単にそぎ落として、手垢(てあか)のついた従来からの紋切型思考・常套判断などを援用して短絡的処理の末に一件落着に持ち込もうとするのが大きな特徴かと思われる。この間しばしば書いている、< "さぁ、次に行ってみよ~!" という、 "行け行けドンドン" 方式>も、その種のワースト・パターンということになる。
そして今、この "狡猾な愚鈍" を体現しているのは、誰あろう "(既存)メディア" なのではないかと、そんなふうにしみじみと感じる昨今である。
もう一度言えば、 "狡猾な愚鈍" の最大の罪は、現代という時代が投げ掛けている問題の "新たな局面" をクリエイティブに解き明かすでもなく、人びとが辟易(へきえき)としている従来からの常識論で "やっつけ仕事" をする点以外ではない。
本来を言えば、 "(既存)メディア" は、 "新鮮な情報" に日毎接しているのだから、その "食材" を活かして、 "斬新な料理法" (=クリエイティブな視点!)を考案すべきなはずである。にもかかわらず、まるで「紺屋(こうや)の白袴(しろばかま)」よろしく、"立ち枯れ" スタンスで、 "思考停止" 状態にでもなっているかのようである。しかも、それを "感染" させる立場にあるからよくない。料理の下手さ加減を、 "食材" の新鮮さだけで粉飾している怠惰な料理店以上に罪深い。
こうした "(既存)メディア" 批判を今更のようにするのは、田原総一朗『「愚直に徹する」、それが鳩山首相の流儀』(「愚直に徹する」、それが鳩山首相の流儀/2010年5月7日/田原総一朗の政財界「ここだけの話」)を興味深く読ませてもらったからである。いつもながら、同氏は "天邪鬼" が "売り" だなぁ、と感じながら......。
詳細は同サイトを参照していただくとして、同氏は以下のような柱を立てて、論説を繰り広げている。
<鳩山首相の沖縄訪問をボロクソに批判したメディア>、<プロセスをオープンにする。それが民主党のやり方>、<鳩山首相の流儀がわからないメディアの人々>、<鳩山由紀夫という人物は政治家ではない>、<新聞やテレビの記者は批判を恐れて同じ記事しか書けない>。
同氏の<メディアの人々>への痛烈な批判にはまさに共感するところであった。さらに、次の叙述に関心が向かった。結構、重要なポイントであるに違いない。
< 自民党時代ならば当然、事前交渉をする、裏交渉をやる。そして、あらゆるお膳立てをした上で、首相が行くという形になっていただろう。そうした「密室談合」的なやり方に国民は嫌気をさした。だからこそ、政権交代が行われたのではなかったのか。
民主党のやり方は、プロセスをすべてオープンにする。裏交渉や事前交渉は一切やらない。それが民主党なのだ。......
自民党流の事前交渉や裏交渉などを一切廃止し、「愚直に徹する」。それが鳩山流ではないか。だからすべて真っ正面から愚直に取り組む。
これが鳩山さんのやり方で、だからこそ沖縄での交渉の経緯をすべて公開したのだ。そして、「沖縄の皆さんに、また負担をお願いせざるを得ないというのが政府の考え方です」と言って沖縄で頭を下げた。鳩山さんはお詫びに行ったのだ。......
......記者たちは自民党時代の交渉の仕方が交渉だと思っている。愚直にすべてをオープンにするのは交渉ではない。頭からそう思っているから、鳩山さんが何をしているのか、さっぱりわからない。それで一方的に鳩山批判をする。
鳩山さんが躊躇もなく、ひるみも見せていない。それをメディアは「鈍感だ」と言う。米国のある新聞は「loopy(頭のおかしい、ばかな)」とさえ書いている。
これは、鳩山交渉が自分たちの考えている範疇のものではない、ということの裏返しだ。なぜこんなことをやっているのだろうかと思いをめぐらすことができないから、批判になってしまうのだ。
鳩山由紀夫という人物は、はっきり言って政治家ではない。事前交渉や根回しを誰かにやってもらうと必ず失敗する。鳩山さんとつきあっていれば、そういうことはわかる。なぜこうしたことに考えが及ばないのか。私はそう問いたい。......>(同上サイトより)
われわれは、さまざまな複雑な問題に対して、とかく、こう言ってしまうものだ。
「で、どうなの? どうすればいいワケ?」と......。
<したり顔をして "正解" を滔々とまくしたてる" >人気評論家たちと同じスタイルで事に当たるよう、そう躾(しつけ)けられてしまったかのようである。このスタイルで真に解決された問題がどれほどあったかや、もはやそうした従来からの紋切型思考・常套判断がほとんど無効となりつつある実情を念頭に置きもせず、そうしてしまう......。
要は、 "思考停止" 状態に突入して、 "さぁ、次に行ってみよ~!" と踏むことの方が、何と言ってもラクだからに違いない。ここに "諸悪の根源" が横たわっていると言ってもあながち間違いではないかもしれない。
たぶん、 "厄介だと感じさせられる問題" でわれわれが悩まされるのは、何も、 "米軍普天間基地移設問題" だけなんてことはないはずであろう。政治課題、経済課題、社会福祉課題、新たな社会問題etc.......と、われわれが "引き受けざるを得ない" 問題群はエンドレスで待ち受けている。
そして、これらが生じている原因は、もはや政治領域での云々(うんぬん)かんぬんだけなんていうことはなく、ましてどんな政権が良い悪いというような問題だけでもなくなっているようだ。さらに、地球温室効果ガスの現象を思い起こすならば、国際的な軍事同盟問題や国際金融経済問題などのグローバルな問題領域に帰着させることすらできないかのようである。
あえて言及するならば、エンドレスな "オール現代問題" と果敢に直面し続ける、そんな人間の "新たな思考と行動のスタイル" 、それが相応に成熟して行くまでは逃れることはできないとも言える。
差し当たっては、いかなる場合でも "思考停止" 状態に突入してしまうことを、あるいはそれを巧みに誘う流れや空気を、聡明に拒否して行くことが重要なのかと...... (2010.05.09)
コメントする