"におい" と記憶との関係が深そうな観点から、 "におい" については少なからぬ関心を寄せてきた。この日誌でも何度か書いてきたが、その中に次のような引用をしたこともあった。
<≪これまで世界的にも、苦労多く実り(?)少ないにおいの研究は敬遠され、生理学者の多くが視覚、聴覚研究への道を選ぶ傾向が続いてきた。
誤解を恐れずにいえば、嗅覚や味覚を研究している人は、出世をあきらめた者か、フロンティアスピリット豊かなよほどの野心家、はたまたかなりの変わり者というレッテルを貼られがちであった。≫(外崎肇一著『「におい」と「香り」の正体』)>(出世をあきらめた者、よほどの野心家、はたまたかなりの変わり者/当日誌/2006/10/05/ (木))
事ほど左様に、 "におい" の研究は "ビジネスから最も縁遠いもの" と考えられてきたようである。嗅覚のメカニズムが捉えにくかったり、主観的側面があったりして扱いにくい点に原因があったのかもしれない。さらに、 "香り" の要素の特定やその再現・持続など制御しにくい点なども、科学の手法やさらに市場原理に馴染みにくかったからなのかもしれない。
ところが、 "におい" に関するそうした "難点" をも、現代の "貪欲な市場環境や科学" は克服しようとしているごとくであり、まさに "においビジネス" が展開しつつあるそうなのである。
<消費不況が続く中、従来の視覚や聴覚ではなく、嗅覚に訴えかけるビジネスに注目が高まっている。大手の航空会社や自動車メーカー、さらに、進学塾やパチンコ店まで、幅広い業種がにおいを活用して、イメージアップや販売促進を狙っているのだ。
こうした"においビジネス"を可能にしたのは、記憶力を高めたり、禁煙を手助けする効果があるとされる"機能性アロマ"や、10時間以上も香りを長続きさせる最新の"におい噴霧器"の開発だ。
その一方、人工的な香りの氾濫によって、日本人がもつ繊細な"香り文化"が失われているのではないか、自然のかすかなにおいを教える必要があるのではないかという専門家の指摘もある。いま急速に広がりつつある"においビジネス"とどう付き合えばいいのか考える。>(広がる"においビジネス"/NHKクローズアップ現代(NO.2890)/2010年5月18日)
先ずは "におい" のもとになっている "香り" の "人工化" 技術からはじまり、<10時間以上も香りを長続きさせる最新の"におい噴霧器"の開発>がこの動向に拍車をかけつつあるらしい。
もとより、 "におい" は記憶と深い関係があるのに加えて、さまざまな "感情" との結びつきもあるようで、その "効果" をビジネスに役立てようというのだそうである。
購買意欲を駆り立てることが目的のショールームに、BGMさながらに、効果が期待されそうなある種の "香り" を "噴霧" するという仕掛けなのだそうだ。
番組では、 "ラスベガス" の賭博場での客たちが "長居(ながい)" したくなるような "香り" が、実験結果から判明しているとかで、その "香り" が日本のパチンコ屋のホールでも "噴霧" されているのだという、笑っちゃうような事例も報告されていた。現代の "貪欲な市場環境や科学" は、 "そこまでやる" ものかと妙に感心をさせられてしまったものだ。
"におい" の科学が、どれほどにビジネスに直結するのかは定かではないが、 "におい" と記憶との不思議な因果関係への関心はやはり絶えない。そこで、記憶を新たにする意を込めて、以前に書いた部分を再度引用しておきたい。
<......わたしが気になって来た「におい・香りと記憶」との関係について、以下のような示唆的な記述も目にとまったので記録しておこうと思った。
≪皆さんは、あるにおいに触れたとき、それまで忘れていた記憶が急に蘇ってきたことはないだろうか。土や田んぼのにおいを嗅いで、生まれ故郷での出来事を思い出したり、香水のにおいから昔の恋人の顔が浮かんだり......。
この場合、漠然としたイメージを思い出すというより、ある日、あそこでこんなことをして、このような気持ちになった、というような非常に明確で、ピンポイントな記憶であることが多い。視角的なデジャヴ体験(※)も良く知られるが、このような状況において、特ににおいは記憶と密接に繋がっていることが多い。
においと記憶の関係は科学的にはなかなか説明できないが、一つの理由として「五感の中でもっとも原始的な感覚であるから」という言い方ができるだろう。
普通、外部からの刺激、いわゆる目や耳、口、肌から伝えられる信号は、まず脳の視床という器官に集められ、その後、視覚野などそれぞれの情報を司る部分へと運ばれていく。視床というのは、生物の生命機能を維持する基本的な器官で、さまざまな情報を統合する役割を果たしている。
しかし、嗅覚だけはなぜかこの視床を通らず、ほぼダイレクトに脳へと伝えられるのである。なぜ嗅覚だけが独立した形態をとっているのかはまだ分かっていないが、生理学的にみても、嗅覚は他の五感とはどこか違った特別な感覚ということができる。≫(前述書) ......
≪さて、酪酸が脳のどこで反応するのかを写真で調べてみると、各々バラバラな部分が光っていた。すべてを重ね合わせてみると、脳全体に散らばっているという始末である。視覚や聴覚、味覚であっても、これほど広範囲で反応することはない。これでは、においは脳全体で感じるという結果になるのである。まだ、研究途中ではっきりとした結果は出ていないが、不思議な現象である。
以前、においは記憶と深い関りがあると書いたが、あるにおいに各々が持っている情報というのは千差万別であろうと想像される。その辺が、脳の反応に現われているのではないかと想像している。≫(前述書) ......
ただ、においや香りというテーマは、文明が積み残した最後の人間的課題であるような気がしてならない。インターネットを通じて、におい情報を伝送するという途方もないことを考えている者がどこかに潜んでいないとは言えない。......>(出世をあきらめた者、よほどの野心家、はたまたかなりの変わり者/当日誌/2006/10/05/ (木))
<においや香りというテーマ>が、人間という "自然存在の愛しいアナログ的側面" を照らしているものであるだけに、狭い市場原理の了見で不用意に荒らして欲しくないという思いもある...... (2010.05.20)
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