とあるTV番組での奇妙な "アナロジカル(類比的)な対比" がおかしかった。
"反小沢・脱小沢" シフトで組閣される "菅新内閣" と来るべき参院選という局面と、あの「郵政解散(2005年8 月8日)」、その総選挙(第44回衆議院議員総選挙)において自民党圧勝(296議席獲得)を導いて組閣された第2次小泉改造内閣の流れとを "アナロジカルに対比" していたのだ。
どうも着眼点は、 "菅新内閣" における "反小沢・脱小沢" という視点と、「郵政解散」時に投入された "抵抗勢力" という視点とが、ともに党内(抗争)での "二分法" の構図を構成することとなり、他党の存在感をかすませる......、ということのようであった。
だから "菅新内閣" においても、 "反小沢・脱小沢" の観点でメディアが騒げば騒ぐほど、 "菅新内閣" における参院選は有利に展開していくのではないか......、と。
言うまでもなく、あの "抵抗勢力" という言葉は、小泉元首相が「郵政解散」と総選挙を有利に闘うべく、「私の内閣の方針に反対する勢力、これは全て抵抗勢力であります。」とまで言い切って、 "郵政民営化反対派" を総称してそう表現したものであった。
もちろん、こうした単純な解釈は、現実にそぐわないばかりか、そもそも、総選挙の争点とされること自体にムリがあったわけだ。が、そこが "小泉劇場" の "劇場" としてのトリックでもあったわけである。
確かに、有権者へのアピール度という点では、 "二分法" 構図という "分かり易さ" はそれなりの影響や効果を引き出すことにつながる可能性が生まれそうだとも言える。おまけに、党内 "抵抗勢力" の候補者に、対抗馬としての "刺客" 候補をまでぶつけるという "演出" がなされてしまうと、まるでその "見物" 目当てかのように浮動票が吸い寄せられもした......。
こうした流れの可能性が再び実現されることが無いとは言えないかもしれない。
ただ、今回、槍玉に挙がっている "抵抗勢力" は、決して "ヤワ" な政治家ではない。その点が、 "菅新内閣" にとっても、またサポーターにとっても留意されなければならない点であろう。参院選の結果も未知数であるし、何よりも、民主党の "9月代表選" が波乱含みの "ボトルネック・イベント" として今から想定されそうだからだ。
すでに、小沢氏の陰での動向はいろいろと注視されている。が中でも、幹事長辞任直後に、岩手県で開催された民主党集会で示された支持者向けのビデオ・レターにおいては、同氏は今後に向けた決意めいたものを次のように語ったと報じられている。
「私もいったん幹事長の身を引きましたけれども、本当に議会制民主主義を日本に定着させるために、その時にまさに自分自身先頭に立って頑張りたい」(菅新政権 信頼は回復できるのか/NHK 追跡!AtoZ/2010年 6月5日)
参院選での "果実" を「漁夫の利」よろしく狙い、再び民主党政権を自己の勢力下に置こうとする同氏の執着が見てとれるわけである。
長いキャリアを持つ政治評論家の岩見隆夫氏も、小沢氏に対して以下のように警戒心を向けている。
< 長年、民主党の助言者である山口二郎北海道大教授が、民放テレビで、
「小沢権力は幹事長を辞めれば、かき氷みたいに消えていく。お金の力も、(候補者の)公認権もポストについているからだ」
と語るのを聞いて、驚いた。小沢一郎幹事長の引責辞任が明らかになった翌日である。政権交代への期待が強かっただけに、小沢の手法への幻滅が大きく、その衝撃が言わせているのだろう。しかし、小沢はそんなヤワな政治家ではない。
かき氷の例えは面白いが、そう簡単に溶けない。溶けても水になって残っている。
......こんな息の長い政治家はほかにいない。特異な生命力、特異な継戦能力だ。......
民主党の新代表(首相)に選ばれた菅直人は、
「小沢氏はしばらく静かにしていただいたほうが、ご本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとってもいいのではないか」
と小沢離れ宣言ととれる発言をしたが、小沢はすでに静かではない。菅の面談要請を拒み続けたこと、海江田万里らに出馬を促したらしいこと、などがそれを端的に示していた。枯れていない。
......日本の政治に通じているジェラルド・カーティス・コロンビア大教授は、
「今回、鳩山さんは小沢さんと無理心中したが、問題は小沢さんが政治的に死なないことだ。裏から不透明なやり方で権力を持ち続ける。だから、人気は民主党に戻らない」(3日付「毎日新聞」座談会)
と言う。山口教授と真反対だが、多分、カーティス教授の見方が当たっている。菅新体制のもとでも、小沢による二重権力問題が形を変えて影を落とすに違いない。......
「国民のために政治がある。権力闘争は国民のための政治を実現する手段だ」
というのが小沢の持論だ。だが、権力闘争が過剰になると、<国民のため>が薄れてくる。闘争を名分に選挙至上主義に走り、カネが動いたのだ。その象徴が小沢である。
古い政治は断ち切らなければならない。鳩山がきっかけを作り、次期衆院選の不出馬を決断した。小沢も静かに身を引く時である。>(小沢は身を引く時だ=岩見隆夫/岩見隆夫のコラム:近聞遠見/毎日新聞 2010年6月5日)
"反小沢・脱小沢" シフトで内閣を運営し続けるのはラクではなかろう。しかし、小沢氏の存在は、民主党政権が "気を抜かない" ための "ペース・メーカー" なのだと思えば悲観するに及ばないのではないか...... (2010.06.09)
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