"電子書籍(eBook)" の "正体" とは、"セルフ・パブリッシング" の可能性が盛られた新しい "表現装置" なのだと言ってみたい。
これまで "書籍" とは、一般の個々人にとっては、読者としての立場以外、つまり "出版" という面では "蚊帳の外" だったはずである。いや、そうでしかなかったわけだ。
"紙" が媒体となっていたことは、単にそれにとどまらなかったわけで、"出版" という事象そのものが "紙書籍" にまつわる "大掛かりな装置" (=業務用印刷装置をはじめとした製本・流通販売などの一連の装置)と分けては考えられなかった、ということでもあった。その結果、一般の個々人にとって "出版" とは "大それた事"、"他人事" 以外ではなかったのだ。
ところが、 "紙" の活字が "電子"、"デジタル" に置き換えられる技術的インフラが一般化するに至り、事情が大きく変わり始めたわけだ。まるで、厚い壁に風穴が開けられたかのように、"出版" という事象が、にわかに一般の個々人にとっても "自分事" へと変貌するキッカケとなったということである。
この辺の推移の "先駆け" 現象としては、言うまでもなく "Web" における "ホームページ" 公開の一般化に見ることができるはずだ。
ある意味では、"Web" の "ホームページ" と "電子書籍(eBook)" とは "双子の兄弟" のような関係ではなかろうか。両者の差異点を見出そうとすることの方が難しい位だ。
と言うことで、"電子書籍(eBook)" の "正体"(本質、核心)を掴むには、あれこれのメリットやその財産目録に眼を向ける前に、"セルフ・パブリッシング" の可能性という一点にこそ視線を注ぐべきではないかと思うのである。
その辺りのことを昨日は次のように書いた。
<ところで、"電子書籍(eBook)" には幅広いさまざまなメリットがある。しかし、そのメリットを享受している無数の受け手たちの人物像の総和を想像してみたところで、あまり説得力のある説明がなされるとも思えない。>と......。
ちなみに、電子書籍に関する解説書には、<電子出版で何が変わるのか?>と銘打った以下のような説明がある。(マイコミムック『すぐにわかる! 電子出版スタートガイド』/毎日コミュニケーションズ/2010 より)
<――インタラクティブ性の獲得
●Webサイトへのハイパーリンク
●読者との双方向性
――経済性&環境性の向上
●印刷・流通コストの圧縮
●資産(絶版など)の有効活用
●ペーパレス&省スペース
――スピードUP
●定期刊行物の自動配信
●紙媒体とのサイマル配信
――表現力の向上
●動画や音声を伴ったリッチコンテンツ化
●FIXしたレイアウト、フォントや各種条件からの開放
――多言語対応が容易に
●対応言語を増やすことで読者層をグローバル化
――特性を理解したコンテンツ&価値の提供が重要
>
これらはまさしく "そのとおり" であるには違いない。が、こうした指摘だけでは「画竜点睛を欠く」と言わざるを得ない。(ただ、技術的・実践的な解説に関しては大いに評価できる著書である。)
物事の "正体" を見極めようとする場合、"その対象" が持つであろう様々な属性的断片を隈なく羅列すれば、それでその "正体" は解き明かされるものであろうか。むしろ、そんなアプローチを採っていては、"その対象" は、焦点を欠いてモザイク化されてしまい結局はワケの分からない平板な印象に終わるだけではなかろうか。
"電子書籍(eBook)" という事象に関しても同様だと思える。"電子書籍(eBook)" が持つ属性としてのあれこれのメリットを並べ立てれば、その "正体" を見極めたかのような "感触" を得ることはできようが、そうした "感触" からは何が始まるものでもない。
多分、物事の "正体" とは、もしそれが見極められたならば、そこから何か手堅いことが始まる、と言うような理解や認識を指すのであろう。
事、"電子書籍(eBook)" については、"セルフ・パブリッシング" という潜在的可能性が開花して行くプロセスでこそ、この事象の "価値ある面" が説得性を持って行くのだと思われる。
"セルフ・パブリッシング" に関しては、それが今どんなふうに可能となりつつあるのか? を、技術的側面、販売・流通的側面などを踏まえて見定める必要があろう。
と同時に、"セルフ・パブリッシング" という時代のトピックスを成立させている "社会的事情(ソーシャル・コンテキスト?)" を考察することも欠かせないように思われる。たとえば、"小説" といったジャンルにしても、その "読まれ方" が完璧に様変わりしている点は否みようのない事実だろう。いや、メディア形式の変化ではなくて、"読もうとする動機、スタンス" のことを言っているのである。
"大作家" の著作だから読むのではなくて、"自分にとって意味がある" ようだから読む、というのが今風なのかもしれない。
ここから、"誰の著作" という要素が比重を小さくしていて、それが "書き手" 側のスタンスにおける "無用な萎縮" を取り払った(?)と言えないことなさそうである。こうしたことでも、"セルフ・パブリッシング" の進展はエールを送られているのかもしれない ...... (2010.10.11)
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