"メッセージ性"再論/電子書籍(eBook)は、本来の"メッセージ性"で勝負ができる! ......

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 先日、"電子書籍(eBook)" に関して、かなり "ナイーブ(素朴)な叙述" をしました。つまり、<"新しい革袋"である電子書籍(eBook)を充たすのは"メッセージ性"(≠コンテンツ)! >である、と。
 この主旨は、これまでの "紙の書籍" を司ってきた "出版業界"、"マス・マーケティング" が経営の視点で打ち出していた "コンテンツ" という "粗雑" な発想を、"電子書籍(eBook)" という現今のニュー・メディアがまたぞろ踏襲するのであったならば、決してさしたる "ニュー" 局面は現れてこないのではないか、ということであった。
 "電子書籍(eBook)" は、この製品スタイルの斬新な技術的・インフラ的な構成面だけに漫然と自足しているのならば、これまでのニュー・メディアが何度となく辿った「新しい革袋に古い酒を入れる」という安直さに流れることとなり、その結果、ほぼ確実に "陳腐化" の坂を転がり落ちて行くに違いない......。いや、ことによったら既にその "下降傾斜" に差し掛かっているのかもしれない......。
 とすれば、その "古い酒"(="コンテンツ")に、"何" が取って替わるべきか? もちろん今時、"べき" 論ほど虚しいものはないのだが、前回は、"メッセージ性" のある "酒" が "新しい酒" となるべきだ、と書いた。
 少なくとも、 "コンテンツ"="出版業界" というアンシャン・レジーム(旧秩序)が変わらなければ "書籍" の未来に明るい展望が見えない以上、"コンテンツ" 視点でお茶を濁し続けることだけは "The End" にしたいものと思われた。そして先ずは、その対極にあるかに見える "メッセージ性" の視点が打ち出されて良い、と。
 だがしかし、"メッセージ性" のある "酒" というのも、これはこれで "ナイーブ(素朴)" に過ぎる視点なのかもしれない、という反省も生じたのだ。

 と言うのも、"メッセージ" という言葉は、必ずしも "コンテンツ"(⇔"出版業界")という言葉の "反対語" であるどころか、むしろ "類語" 的な位置にあるとさえ言えそうだからである。
 かつて、ジャン・ボードリヤール(仏の社会学者)はその代表的著作『現代消費社会の神話と構造』(紀伊国屋書店)の中で、"メッセージ" という概念が、 "マスメディア" といかに親和性が深いかを説いて見せた。
「メッセージの組織的羅列こそがメディアという言説の形態であり、メディア自身のメッセージとその意味なのである。しかしメディアが自分自身についてこのように説明しながら、世界の切り取りと解釈 の全システムを押しつけている点を見逃してはならない。
 ......
メッセージの消費というメッセージである、つまり、世界の切り取り、スペクタクル化・否認というメッセージ、情報の商品化とその記号としての内容を礼讃するメッセージである。」(前述著)
 確かに、われわれは、"メッセージ" という言葉に "アテンション" を払いたくなる習性を持ちつつも、日常生活でのマスメディアからの "メッセージ" の "絨毯(じゅうたん)爆撃" によって "ウンザリ" とさせられているのも実情だと思える。
 ボードリヤールは、反面で「真のメッセージとは人間関係の深部で起こる(価値基準や階梯、モデル、型の)構造的変化のことである」と、控え目に述べてはいるが、これは限りなく "べき" 論に近い響きとなって耳に届く......。

 つまり、"電子書籍(eBook)" に話を戻せば、"コンテンツ" という視点の立場に対峙するための視点として "メッセージ性"! をと強調しても、今ひとつ、スッキリしない。それは、"メッセージ" という言葉が既に、"コンテンツ" 視点の陣営(?)に取り込まれていたからなのかと思わざるを得ない。そう言えば、マスメディアにおける新刊本の "コンテンツ" バリューアップ、客寄せのために、著名人たちによる賞賛の "メッセージ" が恥かしげもなく羅列され、それらに辟易(へきえき)とさせられていたことを思い起こさざるを得ない......。
 では、"メッセージ性"という視点は、"電子書籍(eBook)" に収める "新しい酒" の吟味基準としては不合格なのであろうか? 
 必ずしもそうではないと思えてならない。

 "メッセージ" の原意は、 "伝言" がそうであるように、極めて "人格的関係" での "人から人へ" の "情報伝達" なのであり、わかりやすく言うならば、 "特定個人" から "特定個人" へという場、"一対一" の地平でこそ精彩が放たれるアクションなのではないかと思われる。
 その点から言ってみれば、マスメディアは、当初の "大量販売大量伝達" という宣伝スタイルである "一対多" の発信スタイルを、"メッセージ" 的スタイルへとじわじわにじり寄ってきたとも考えられる。結構、ムリをしているわけなのだ。
 そして "多品種少量販売" のマス展開に変わった時点で、"一対一関係もどき" の宣伝スタイルである "メッセージ" 手法を採らざるを得なくなったと......。「あなただけに向けてのメッセージなのです......」と。
 しかし、この手法が経営的理論からすれば "構造的矛盾" を内在させていることはしばしば指摘されてきたわけで、だからこそ、Amazon の "ロングテール" 論経営の特殊成功例が話題にもなったのであろう。

 奇しくも、その "ロングテール" 現象と深く関わりながら、"電子書籍(eBook)" ("セルフパブリッシング" の面)が登場してきたのはかなり意味深いかと思われる。
 つまり、"電子書籍(eBook)" は、"一対多" という地平での販売可能性が無いでもないのだが、もともとが "一対一"、あるいは "一対少数" という関係を主戦場とするメディア、即ち、"一対一" 対応での "メッセージ性" でこそ真価が発揮できる、そんなメディアなのだと位置づけてみてはどうだろう。
 これは決して感触的な話ではなく、"大量販売" が達成されなければ存立が危うくなるというような "出版業界" が持つような "縛り" から、一切自由だという "コスト構造" の点から来る特質なのである。だからこそ、"一対一" を典型とする "メッセージ性" で存分に "勝負可能!" なのであり、あわよくば "ロングテール" 経営に沿って "ペイ" されるという可能性すら備わっているわけなのである。
 そんな "電子書籍(eBook)" が "メッセージ性" で勝負をしようとする際、おそらく、先ず意識すべきなのは、マスメディアがムリムリで展開している "似非(えせ)メッセージ" をどう蹴散らすのか、それらとどう差別化できるのか、ということになりそうである。<真のメッセージとは>こうしたものではないかと、読み手に迫れなくてはならない...... (2010.10.27)













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