"デジタル" のコンテンツ制作にあって、"慣れ" や "習熟" が必要だという "言い草" はいささか抵抗感があるのは事実だ。
"デジタル" の領域では、境界線がはっきりしているのであるから、それを見定めて処理方法を "法則化" するならば、誰がどんな時に実行しても同じ結果が出なくてはならないはずだからである。
"慣れ" や "習熟" というものは、ケース・バイ・ケースで臨機応変に微妙な "匙(さじ)加減" をして事をなさなければならない領域でこそ着目される要素であろう。したがって、"デジタル" の領域ではこんな "言い草" はまさに禁物だと言っていいはずである。
しかし、事、自身の現状での "ePub 電子書籍" 制作作業においては、"慣れ" や "習熟" が欠かせないのかなぁ......、というのが少なくとも実感なのである。
恐らく、各々の処理方法が持つ意味を正確に掴んで "客観化・定式化" し切れていないがために、"曖昧な部分" を "慣れ" で補おうとしているのだろうとは思う......。
ふと、いわゆる "職人技" というジャンルが思い起こされる。処理方法を可能な限り "客観化・定式化・数値化" することを原理とする機械生産とは異なり、"職人技" というものは、処理過程で "客観化" し難く、残されてしまった "曖昧な部分" を、そのまま "経験や勘" を含む "身体全体" で引き受けて対処しようとする方式だと言える。
これはこれで、一種の合理性のある対処法だと言うべきで、決して "いい加減" だと蔑視してはならない。事態を "客観化" しようと目論み、分解し難いものまでを中途半端に分解してその気になって、結局は "似て非なる" 処理に落ち着くよりは、はるかに理に叶っていると思えるからである。
ひょっとしたら、"ePub 変換" 作業や "ePub 電子書籍" 制作というジャンルは、たとえ叡智と科学とをふんだんに注ぎ込み "機械化・自動化" を進めたとしても、いや、それがペイするのかというシビァな経営的視点の問題もあることだから、どうも最終的には "職人技" に依存していくものではないか、と感じたりもしている。往々にしてありそうではないか。
少なくとも、"ePub" を取り囲む現状の環境では、"未知数" 的技術要素が散らばり過ぎているかに思われてならない。"未知数" 的技術要素と、これまた "未知数" 的技術要素とを混在させたままで、それでターゲットの表示を完成させようというのだから、"職人技" のような "非機械的" な対応に依存さざるを得ないと思えるわけである。
逆に言えば、だからこそ、 "インディ" な個人としても遣り甲斐があるというものなのかもしれないのだ...... (2010.12.28)
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