この国の今は、まことに "立ち腐れ" の状態そのものであり、まともな神経で接するには辛過ぎる。いっそ縁を切って "無縁" となりたいほどであるが、それは極端だとはしても、思わず目を背けたくなるばかりである......。
先日、ラジオ番組の "ぼやき川柳" とかで、表題のような川柳が紹介されていた。もちろん、あの "八百長相撲 by 携帯" 事件とその後の推移とを揶揄(やゆ)したものだ。
思わず吹き出してしまったのだが、その後、そうだよねぇ、笑いを交えなければ見るに堪えないほどに腐り切っているよねぇ......、と思った。
確かに、 "笑いごとではない!" というのが正論ではあろう。しかし、"笑い抜き" で今の世相を凝視できるほどに、鍛えられた御仁(ごじん)は少ないのではなかろうか。
そして、同じようなかたちで "携帯(ケータイ)" が "取り持つ" ところの "珍事" がまたまた起きたことから、メディアはざわめいている。正直言って、とり合いたくもない事件なのであるが、何も触れないと逆に鬱積した不快感が溜まってしまうので、川柳で扱き下ろしてガス抜きすべきか、と......。
「受験生、頭使わず指使う」とは、やや "直球" 的であり過ぎて、できればもう少し "変化球" となった方がよいとは思っている。
それにしても、中東諸国や中国などの民衆の間では "民主化変革" への "連帯の絆" として使われたり、被災地のがれきの下では救難に向けた "サバイバル・ツール" として使われたりもしている "携帯(ケータイ)" であるのに対して、その種の人たちは何と愚かしい使い方しかできないのであろうか......。
文明の利器は、 "作用を増幅させる" ところの梃子の働きという "レバレッジ" 機能を発揮するものである。しかし、増幅させるものが、ただただ "愚かしさ" や "卑劣さ" だけだというのでは情けな過ぎるではないか...... (2011.03.01)
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