こんな時期だから、復旧のために大いに協力したいと考えない国民はいないはずであろう。しかし、その分、当該の責任主体である当局は、あらん限りの能力と誠意とを発揮しなければ間尺に合わない。現時点で最大限の力量発揮をすることはもちろんのこと、もし "従前の体制" に不都合があったなら、この機にそれをも払拭するほどの覚悟がなくては当面のこの難局をも突破できないのではなかろうか。
最前線で職務遂行に励んでいる職員の姿には脱帽もするが、理由はどうあれ、たとえ想定外の地震であったにせよ、結果責任が問われる企業責任者たちは、"危機管理" に関して "これまで一体何を講じていたのか!?" 、それが厳しく問われなければならないと思われる。
憤りが向かう対象は、"原発"設備施工に関する "安全性確保" へのこれまでの体制の問題、"計画停電" 実施運用から見えてくる事前のシミュレーションの甘さ、さらにそこから覗える公共的企業としての "自覚の浅さ" と "日常管理のマンネリ体質" だ。
"計画停電" においては先ず、何を今更 "需給バランス" が云々なのかと大きな疑問に襲われる。企業にとって、製品やサービス量に関する "需給バランス" なぞは "イロハのイ" であり、常に瞬時に弾き出されて然るべき数値ではないのかと......。
それにしても、"計画停電" という "無計画" 構想の "お粗末さ!" は何だろうかと思う。協力すべきだという常識を踏まえても疑問が禁じえない。果たして、"実行的水準" で推敲されたり、実行シミュレーションとして検証がなされたのであろうか? この実施による、周辺波及影響(列車運行、病院施設、断水、信号......)についても疑問符だらけではないか。
それは、この一日、二日の運用実態に接してみると、無いものねだりなのかもしれないが、"知恵と努力との結晶" だというふうにはとても思えないのである。顧客側の惜しみない協力を仰ぐならば、もっと説得力のある "計画" でなければならない! というのが率直な印象である。顧客をいたずらに "振り回す" その神経は非常識に尽きる。
電力供給をいつ、どこに実行するのかについてはベンダーの権利だと言わぬばかり(ちなみに我が家は "第5グループ" に指定されていたのだが、覚悟しつつ迎えた "計画" の"偶発性(?)" は、思わず「バカにするのか......」と感じたものだ......)の、まるで「知らしむべからず依(よ)らしむべし」とでも言うような古い体質感覚なんぞを思い起こさせては、かなりマズイのではなかろうか。今後、どう運用されていくのか分からないが、透明性が高いレベルでの "公平性" を実現して、ユーザー側の積極的な協力姿勢を獲得すべきだろう。 "東電" の高い "企業文化" がアピールされるべきだろう...... (2011.03.16)
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