<"キュレーション"概念に注目!>と昨日書いた。(スマホとは"機能をキュレートされたデバイス"!/"キュレーション"概念に注目!( 当誌 2011.08.31 ))
スマホの "スマート" さの内実を追って考える過程で、いわば必然的に "キュレーション" という概念を配慮せざるを得なくなったわけである。
以下の引用部分がその "交差" 部分であった。
<iPadは「キュレーティッド・コンピューティング」の時代の幕開けを告げるもの / 「キュレーティッド・コンピューティング」 / 「キュレーティッド・コンピューティング」とは、機能が絞られているが、使いやすい機器のことを指す。キュレーションとはもともと、博物館や美術館等で作品や資料を整理・管理・研究し、わかりやすい展示を行なう作業のこと / 機能をキュレートされたデバイス ―― 『Kindle』、携帯電話、デジタル音楽プレーヤー、GPSなど特定用途のデバイスは、機能をシンプルにキュレートすることで、汎用のデスクトップ・コンピューターを上回る体験を提供している。>( 「情報過多の時代」の鍵は「キュレーション」/WIRED ARCHIVES/
ところで、もし、"スマートフォン/iPhone" が、機能その他に関して適切な "キュレート"(独自再編集!)がなされていなかったとしたら、果たして額面通りの "スマートさ" は発揮されることになっていただろうか。
決してそうなってはおらず、これまでに死屍累々のかたちで見捨てられてきた "中途半端なデバイス" 群と同様の評価が下されていたに違いなかっただろう。
"スマートフォン/iPhone" は、"キュレーティッド・コンピュータ" としてプロデュースされたから "スマートさ" が誇れるようになったわけではないのである。
言うまでもなく、その "スマートさ" は、適切で巧妙な "キュレート"(独自再編集!)が為されたがゆえに定評を得ることになった、と見なければならないはずであろう。
つまり、"キュレート" をしさえすれば何か新しい価値創造が為されるわけではなくて、洞察力を伴った "キュレート"(独自再編集!)だけが有効なのだと思われる。
こうしたことを書くのは、情報過多の時代環境では "キュレーション" が鍵なのだとばかりに、単なる "リンク集" をもって "キュレーション・サイト" だとしている向きもあるからだ。"キュレーション" という言葉の拡大解釈でしかないような気がしている。
確かに、情報過多の時代環境を救うべく登場した "キーワード検索" システムが必ずしもユーザーの期待に応じていない面があり、"人の視点" からの "人手作業" が奏功する場合もないではなかろう。しかし、現状はどうであろうか......。
これはちょうど、"商品紹介" において、その商品に関する独自な推奨理由があるわけでもないのにただページを埋めている "アフィリエイト" と同じであろう。いや、それどころか "アフィリエイト" 目的で作られる "キュレーション・サイト"(リンク集)もあるというから認識が改まる。
しかし、この情報過多の時代環境および、"一次情報" を扱う主要メディアが "退屈で、心踊らない" 記事ばかりを垂れ流している環境では、やはり "キュレーション" は時代の鍵だと思えてならない。
ただし、同時に問われているのは、"キュレーター" の "編集能力" ではないかと考えざるを得ない。いわば、それがこの時代の "メタ鍵" であるに違いない...... (2011.09.01)
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