"スマートフォン" の "スマート" さに目を向けることをきっかけにして、"スマートフォン/iPhone" が、"キュレーティッド・コンピュータ" としてプロデュースされたことに着目してきた。
そして、それならば "キュレーション"(← "キュレーティッド" ) が "スマート" さの生みの親なのかと "目星" をつけてもみたわけだ。
ほぼ "セーフ" である "目星" なのだが、何かしっくりしない。いわば、"キュレーション" は、"スマート" さ誕生の "必要条件" だとはしても、必ずしも "十分条件" ではなさそうではないか......と。
とかく、問題解決策に飢えて、それらの状況に翻弄されている現代にあっては、"one of them" としてのひとつの方策でしかないのに "only one" のごとく持て囃したり、"付帯条件付き" の方法であるのに、"独り歩き" させてしまうケースが少なくない。
"キュレーション" は、後者のリスクを孕んだ視点のようだと思えた。
たとえば、"ブリーフィング【 briefing 】" という言葉がよく使われる。平たく言えば「要約すること」、格好をつけて言えば「簡潔な指令、要旨の説明」となろうか。実に簡単なことのように見えるが、この "ブリーフィング" をしくじって、重責地位からの更迭という憂き目を喰らった人たちをわれわれは幾度となく見てきた。
"ブリーフィング" も結果の形式だけを考えれば簡単なようにも見える。だが、なかなかどうして......。複雑怪奇でさえある現実の対象や事情を "ブリーフ" するには、眼に見えぬ総力パワーを集中・集結させなければできないことなのではなかろうか。
"キュレーション" とてまったく同様である。少なくともコンピュータによる機械処理では不可能な "人手処理" だと言明された時点で、"決して半端なことではない!" と気づかなければならないはずなのである。
ところで、見事な "キュレーティッド・コンピュータ" をリリースするに至った米アップル(スティーブ・ジョブズ)周辺に、この文脈にふさわしいエピソードがないものかと窺っていたら、ちょうど以下のような記事が飛び込んできた。
しかも、「MobileMe」という "スマートフォン" の "スマート"さを支えるクラウドサービスに関して、ジョブズ氏が、そのチームを激しく叱責していたことを紹介するものであり、ジョブズ氏の "創造性" 発揮が<「ジョブズの怒り」>と表裏一体のものだったと言うから、フムフムと納得できた。
また、一般的には、"ブレインストーミング" という "創造性" 発揮のためのグループ討議では、"怒り" はご法度、禁物! と見なされてきたのに対して、これを覆す "論文" も提起されるに至った、というのだ。
―――― <「ジョブズの怒り」と創造性
容赦ない怒りを爆発させることは、ジョブズ氏の経営手法において、常に重要な位置を占めてきた。怒りの感情は、ブレインストーミングの成績を向上させるという実験結果もある。
筆者の好きなスティーブ・ジョブズのエピソードは、彼の怒りにまつわるものが多い。その驚異的なまでに高い水準についてこられない人々に対し、ジョブズ氏は激しいかんしゃくを爆発させる。
......
容赦ない怒りを爆発させることは、ジョブズ氏の経営手法において、常に重要な位置を占めてきた。彼は失敗にためらいなく向き合い、否定的なフィードバックを控えない。米Apple社のリードデザイナーを務めるジョナサン・アイブによると、同社のグループミーティングは「残酷なまでに批判的」なのだという。
......
TEXT BY Jonah Lehrer TRANSLATION BY ガリレオ -高橋朋子/合原弘子
WIRED NEWS 原文(English)>( 「ジョブズの怒り」と創造性/WIRED JAPANESE EDITION/2011.09.01 )
こうした「ジョブズの怒り」のようなアプローチは、"創造性" に関する従来の考え方では "否定的" に見なされることになった。が......
―――― <しかし、この主張は適切でなく、ジョブズ氏が自分の落胆や不快さを隠さなかったことは適切だった可能性がある----ということを示唆する論文が最近、『The Journal of Experimental Social Psychology』に掲載された。
研究チームが最初に行った単純な実験では、創造性を要する課題において、怒りを感じているときは、少なくとも悲しい気分のときやニュートラルな気分のときよりも、「形にとらわれない思考」が生まれやすい、という結果が出た。2番目の実験では、まず被験者の怒りの感情を刺激し、その上で、自然環境を改善する方法について彼らにブレインストーミングをさせた。この実験でもやはり、怒りを感じていた被験者のほうが、より多くのアイデアを出した。またそのアイデアは、被験者全体の1%弱しか思いついた人がおらず、独創性も高いとみなされた。
むろん、だからといって、怒りは万能であるとか、否定的感情は常によいアイデアを生む、というのではない。何しろ怒ることは疲れるし、「リソースを枯渇」させる行為だ。実際、怒っていた被験者は、初めのうちこそたくさんアイデアを出したが、能力が落ちるのもあっという間だった。ブレインストーミングのセッションが終わるころには、彼らの出すアイデアも、ほかの被験者とほぼ同レベルになっていた。>( 同上記事より )
このような実験結果から、筆者は......
―――― <この結果は何を意味しているのだろうか。怒りは非常に刺激的で、活力を生み出すものだと筆者は思う。怒りによるアドレナリンの噴出は、もう少し深く掘り下げて考えること、いつもの薄っぺらな思いつきから抜け出すことを可能にする。反対に、ニュートラルな気分や、満足した気分でいるときには、よく知らない可能性に賭けてみたり、知的なリスクを冒したり、斬新なアイデアに取り組んだりする気にはならない。批判を受けないでいると、われわれはいつまでも同じところにとどまってしまう。怒っているときのほうが、いつもと違う発想が生まれやすいのはそのためだ。......>( 同上記事より )
また、ちなみに筆者は、"悲しみ" などの<否定的な感情がもたらす意外な利点>や<ネガティブなフィードバックを受けたほうが創造的なアート作品の創作につながったという実験結果>なども紹介し、"創造性" 発揮のための環境作りの難しさを改めて強調している。
◆関連情報参照 創造性のダークサイド:心理学研究/WIRED ARCHIVES/2010.10.19
"創造性" 発揮と "怒り" とが、親和性を持つのかどうかについては極めて難しいテーマだとは思う。が、少なくとも、見事な "キュレーティッド・コンピュータ" の実績を残したジョブズ氏が、ハッピー笑顔の "余裕のよっちゃん" ふうに "キュレーション" を進めたのではないことだけはジワジワと伝わってくる思いであった...... (2011.09.03)
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