あの悲惨さからもう半年も経つ。なのに、<行方不明者も依然、約4千人に上る。> とある。自然災害=巨大津波の猛威に眼を向けることは不可避としても、半年を経過しても "約4千人に上る "行方不明者" という事実には改めて驚かざるを得ないでいる。
そして、その驚きは、自然の猛威に対するよりも、人為(政治ほか)の無力さと無策ぶりに向かっていることが否めない。復旧復興の現場で命懸けで努めている方々の苦労には重々頭が下がる。そうした方々もいなければ一層悲観的であった......。
しかし、それとは別に、頼りにすべきはずの "国のパワー発揮"、それが何と頼りないものか! と驚いているのである。
"想定外" の原発事故のせいにはして欲しくない。原発建設時に巨大地震の可能性は視野に入り、"想定" されていたと聞く。それを想定外にした上で、この期に及んで原発事故が "想定外" だとするロジックにはムリが大き過ぎるからだ。( ◆参照 「東北南部で大津波」02年に予測 政府対策に生かされず 地震調査委・島崎委員長代理が明かす/日本経済新聞/2011.09.11 )
さらに、スタートしたばかりの内閣の大臣が、一般の常識人よりも "危機感" のない言動をして国民に絶望を強いたのは、実に象徴的だと受けとめざるを得ない。
この "危機感" のない言動には、政治家が国難の現実をどこか "他人事" としている、そんな姿勢が滲み出ているかに思えてならなかった。
人が口にする言葉は、その者の "人格の深層" とどこか一脈通じるものがあるとされるが、今回の "失言" も、どうもそれに類するかに見えた。
つい先日、下記のようなことを書いたばかりである。
―――― <たとえば、"ブリーフィング【 briefing 】" という言葉がよく使われる。平たく言えば「要約すること」、格好をつけて言えば「簡潔な指令、要旨の説明」となろうか。実に簡単なことのように見えるが、この "ブリーフィング" をしくじって、重責地位からの更迭という憂き目を喰らった人たちをわれわれは幾度となく見てきた。>( 「ジョブズの怒り」と創造性/"スマート"さの誕生過程は決してスマートに非ず?!( 当誌 2011.09.03 ) )
少なくない政治家たちが、"言葉の災い" で窮地に立たされてきたが、思うに、政治家たちの "人格の深層" が危うくなっていること、つまり "人格の深層崩壊" が隠し切れなくなっていると言うべきなのかもしれない、と思えた。
多くの点を非難するつもりはない。ただ一点に集中させたい。本来、自分以外の事をも "自分事" として引き受けようとするのが政治家の基本だと承知してきたが、その点が反転してしまい、すべからく "他人事" として感じ、捌(さば)くようになったのだから、"万事休す" である。
もっとも、そうした政治家を選び、事終われりとする有権者国民側の "他人事" 性癖も憂うべきなのかもしれないが......。
他人の苦労・苦痛を "他人事" と思えずに、何かと "共感" の姿勢で手を差し伸べてきたかに見える日本文化は、似非(えせ)政治家たちの "功"(?) あって、今、自然現象と同時期に "深層崩壊" を迎えているのだろうか......。
―――― <東日本大震災から半年 復興への決意胸に鎮魂の日 東北地方を中心に未曽有の被害を及ぼした東日本大震災は11日、発生から半年を迎えた。被災地では復興への決意を胸に、犠牲者を悼む式典などが開かれた。津波などにより、死者は1万5700人を超え、行方不明者も依然、約4千人に上る。2千人以上の不明者がいる宮城県ではこの日、県警が特別捜索隊を新たに設置、海上や海辺を中心に捜索を展開していく。
同県南三陸町は午前10時から、避難所になっていた総合体育館「ベイサイドアリーナ」で慰霊祭を開催。
冒頭、参列者全員が黙とうした後、佐藤仁町長が「町民一丸となって新たな町づくりを進めていくことを誓います」と決意を述べた。>
( 東日本大震災から半年 復興への決意胸に鎮魂の日/【共同通信】/2011.09.11 )
異常気象に伴う自然現象としての "深層崩壊" は怖い。だが、それに加えて、人の人格そのものや、たおやかな文化に "深層崩壊" が起きていると考えることは、なお恐ろしい...... (2011.09.12)
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