昨日に引き続き、<ソーシャルメディア上で友達登録100 人以上を対象とした「SNS100 友調査」(by dentsu)>の結果に基づき、実際の "ソーシャルメディア" の姿を垣間見てみたい。
昨日は、ザックリとした観点、つまり リアル社会での "リアル・コミュニティ(自生的コミュニティ)" と、ネット社会での "ソーシャルメディア" 上の "ニュー・コミュニティ(バーチャル・コミュニティ)" とを対照させつつ、"コミュニティ" としては "後者" が優先されつつある傾向を確認した。
◆参照 "ソーシャルメディア"での"友達意識"が照らし出すもの!/電通「SNS100 友調査」 ( 当誌 2011.11.04 )
昨日は、やや "希望的観測" に傾いた書き方をしたかに思われるが、今日は、やや "醒めた見方" で検討することにしたい。
"醒めた見方" と言えば、既に、調査結果自体においてもそれが表明されていたことに気づかされるわけである。
―――― <5. 「友達が多い」ことは、現実生活での充実感=「リア充」には必ずしもつながらない。「現実生活が充実しているか?」という質問に対して、友達数が100~149人で13%、150~299人で14%、300人以上で21%の人が、「現実生活は充実していない」と答えました。>
( ソーシャルメディア上で友達登録100 人以上を対象とした「SNS100 友調査」を実施 ~ 友達登録 平均256 人、ミニブログでは6 割と「ネットだけの交流」~/dentsu NES RELESE/2011.11.02 )
この部分は、<「現実生活」>という言葉の解釈によっては、「現実生活は充実していない」から "ソーシャルメディア" 上で友達数を増やしている、と受け取れないこともない。
が、ここでは、"ソーシャルメディア" 上で友達数を増やしている者ほど「現実生活は充実していない」と答えた比率が高かったと解釈すべきのようである。
[ 記事後半の【調査概要】での解説 ]でも、<友達が多いことは、必ずしも現実生活での充実感にはつながらないようです。同質さに依りがちな関係は、快適な一方、現実生活ほど「摩擦」や「手応え」が感じられないからかもしれません。>と解説されているからだ。
こうした "醒めた見方" が生じる理由は、なるほど<同質さに依りがちな関係>であるところから来るのかもしれない。
そこで、この<同質さ>に焦点を合わせて "ソーシャルメディア" 上の "ニュー・コミュニティ(バーチャル・コミュニティ)" を見つめ直すと、以下のような[ 記事後半の【調査概要】での解説 ]部分がクローズアップされる。
―――― < ......
◇ ソーシャルメディア上では、同質さを乱さないよう、ヨコを見て同調するという行動が取られている。ネット上での振る舞いとしては、「なるべく空気を読む」がトップで44%。3. ミニブログでは、94%が他人の発言を引用。しかも、自分のコメントを付けずにそのまま引用する割合が6割。情報を回しあうことが、友達との絆になっている。
ミニブログでは、情報を加工せずにそのまま引用・拡散するという行動が日常的に行われています。ソーシャルメディアの中でミニブログを最も多く利用している人に聞いたところ、他人の発言を引用する人は94%で、自分のコメントを付けずに「そのまま引用」する割合が6割もありました。
「そのまま引用」することが多い人に、コメントを付けない理由を聞いたところ、62%が「ただ伝えたい・共有したいから」と答え、引用した内容で友達と盛り上がれたり、共感できたときに喜びを感じていることが明らかになりました。
自分が中継基地のようにただ再発信する。情報拡散の波に参加する喜びがあるから、時に ソーシャルメディアでは情報が爆発的な広がりを見せるようです。◇ ミニブログ愛用者(ソーシャルメディアの中でミニブログを最も多く利用している人)では、「94%」が他人の発言を引用している。
◇ ミニブログ愛用者のうち「60%」が、他人の発言を引用する際に自分のコメントを何もつけずにそのまま引用することの方が多いと回答。
◇ そのまま引用する理由は、「ただ情報を伝えたい/共有したいから」62%。
◇ 情報を広めたときにうれしいと思うのは、「ウケた時」53%、「誰かと共感できたとき」51%、「「いいね!」と言われた時」35%。 >( 同上サイトより )
こうして見てくると、意識的に<同質さ>が着目されて作り出された(コミュニティの)関係では、"過敏、過剰" とも見えるほどに<同質さ>自体に最大限、意が払われている気配を感じる。あるいは、"異質さ" が禁止されたゲームのように見えないわけでもない......。
<「なるべく空気を読む」>という点にそれが表れているし、<他人の発言を引用する、自分のコメントを付けずに「そのまま引用」する>(※ 注.)部分にも、その裏側には自己主張を抑制することによって "同調、共感を窺う" 姿勢が潜んでいるかに見える。
そして、ここまで<同質さ>に "こだわる" 当面の目的は、<情報を広めたときにうれしいと思うのは、「ウケた時」>となるようである。"共感!" が実感される一瞬なのであろう。この辺の事情は、まさに、twitter での "フォロワー" 獲得経験と相通じるものなのであろう。
ところで、"共感" と "共鳴" とは同義と言っていいほどに近似する内容だと思われる。そして、"共鳴" と言えば、すぐに "やまびこ" を思い浮かべることになるが、<自分が中継基地のようにただ再発信する>ことで共感し、つながってゆくこうした関係は、まるで "やまびこ的なつながり" のようにも見える......。
(※ 注.) 現代のような過剰情報環境における "引用" という事象自体は、"微妙な" ものかもしれない。"どう引用するのか" だけに意味があるのではなく、"何を引用するのか" それだけでも十分に意味がある環境だと思われるからである。ふと、"キュレーション" という目新しいコンセプトのことを想起した。
以上の、こうした "同質性追っかけ"(="異質性回避")の "ルール(?)" とその "ゲーム(?)" が、どのような "コミュニティ" を形成して行くことになるのかは今のところ分からない。ただ、<「現実生活は充実していない」>という "醒めた見方" も一方には感じ取られている点、そこが気になるところだ...... (2011.11.05)
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