下記引用記事のとおり、<浅田真央さんエッセー発売中止>について、やや躊躇しながらも自分の感想を書こうとしている。ただし、こうしたジャンルには精通していないので、"守備範囲(?)" を限定し、余計な詮索は慎み、以下二点についてのみ書くこととしたい。
1."私の思い"というものは、それが自己矛盾に陥らない限り、こだわっていい!
実は、この点だけが書きたかった。何がどうだという一切の詮索なしにであるが、これほどに "私の思い" に立脚しながら "果敢な決断" ができる人は、そうはいないはずだからだ。特に "政治家部族" や、ジョブズ氏を除く "経営者部族" には皆無!!
人には、どんなに親しい人からであっても、"決め付けられること" を拒絶したい側面があるはず! 心情、信念 etc.......。そして、そのナーバスな側面は、自身以外には "こだわってあげられる" 者がほかにはいないはず、これも当然......。
余りにも、人格のそうした "フラジャイル"( c.f.松岡正剛 )な側面を蔑ろにし、踏み躙る、そんな現在の風潮であるがゆえに、若い浅田真央さんだからこそできた "英断!" に "いいね!" を......。
2."人の思い"を運ぶあらゆるメディアは、"当事者の思い" と常に一つでありたい!
従来の "定石" を踏まえて事に当たったに過ぎない当該の出版メディアは、さぞかし大変なことになっているのだろうと同情して余りある。一つ、あらゆるメディアのそうした "定石" 通りの "ごり押し" 対応には至らず、結局、回避した点は評価してよさそうだ。他の "傲慢な出版社" であれば "敢行" していたに違いないからだ......。
そして、"ソーシャルメディア" こそが、人格の "フラジャイル" な側面を "そっと運ぶ"、そうした賢いメディアとなることを願ったりしている......。
今回の出来事で、恐らく、諸々のメディア関係は "他人事" のような大騒ぎをするに違いなかろう。しかし、今回の出版社がどうこうというよりも、メディア全般が抱えて来た "人格のそうした "フラジャイル" な側面" への軽視の姿勢、つまり、出来事や人物を、その一回限りや個別性を十分に配慮せずに、常に読み手側にとっての "分かり易さ" だけを金科玉条にしながら、"紋切り型、常套句、手垢のついた言葉" を連ねて "投網を打つ" という、そんな当事者の人格を無視した姿勢こそが見つめ直されるべきなのではなかろうか。半ばムリだとは思いつつも......。
< 浅田真央さんエッセー発売中止 「私の思いと異なる」
フィギュアスケートの浅田真央選手(21)が2月8日に刊行する予定だった初のエッセー「大丈夫、きっと明日はできる」が発売中止になったことが12日、分かった。浅田さんは自身のホームページで「本の宣伝、告知について、私の思いと異なるもので進められた」と説明している。
版元のポプラ社などによると、同書にはスケートに取り組む浅田さんの姿勢や思いのほか、昨年12月に亡くなった母親への感謝の言葉などがつづられ、既に10万部を超える予約が入っていた。昨年末に作成した告知ポスターで強調された「ママ、ほんとうにありがとう」の文言などが、浅田さんの本意でなかったという。
( 浅田真央さんエッセー発売中止 「私の思いと異なる」/【共同通信】/2012.01.12 )
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< 『大丈夫、きっと明日はできる』発売中止のお知らせ『大丈夫、きっと明日はできる』発売中止のお知らせ
http://www.poplar.co.jp/info/news/006463.htmlこの本は、私の競技生活を通しての皆さんへのメッセージブックとして1年かけて制作を進めていたものでしたが、
本の宣伝、告知について、私の思いと異なるもので進められたところがあり、出版を中止させていただくことになりました。
大変申し訳ないですが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。浅田真央>
( 『大丈夫、きっと明日はできる』発売中止のお知らせ/Mao-Blog 真央ブログ/2012.01.12 )
浅田真央さんが "投じた一石" で、メディア関係者は "覚醒" すべきだと思う...... (2012.01.14)
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