ドン コーエン 人と人の「つながり」に投資する企業 ソーシャル・キャピタルが信頼を育む |
"ソーシャルメディア" を<「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」的な観点>で見つめた時、両者の間に少なからず "距離(?)" や "次元の相違" があることに気づかざるを得ない点なのである。両者における、人と人との "つながり" の "質"には、かなりの違いがあると思われる点だ。
ちなみに、<「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」>とは、<「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会組織の特徴であり、共通の目的に向かって協調行動を導くものとされる。いわば、信頼に裏打ちされた社会的な繋がりあるいは豊かな人間関係>( "Socialメディア"には「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」的な観点も!( 当誌 2012.01.20 ) )だとされ、"社会貢献" 的な機能を果たしている<社会的な繋がりあるいは豊かな人間関係>だとされる。
今日のような "社会危機" の環境にあっては、こうした観点が社会的に注目されても少しも不思議ではないと思われる。
そして、<「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」>の中身としては、<「社会における信頼、規律、ネットワークといった社会組織」、「人と人とのつながり」、「絆(きずな)」>などが挙げられ、"ソーシャルメディア" というネットワークも当然ながら含まれる。
ただし、現状の "ソーシャルメディア" はいわば "玉石混交" だというのが一般的な観測ではなかろうか。"情報交換" 的側面では効果的だと見える "ソーシャルメディア" であるが、<共通の目的に向かって協調行動を導く>ような "つながり" がどうかと言えば、評価は分かれるかに思う。
そもそも、こうした人と人との "つながり" の "質"(コミュニティ度合いなど)を問う視点で "ソーシャルメディア" を見つめるのは、<「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」>という観点の登場までは乏しかったのかもしれない。
マーケティングをねらいとした企業からの "ソーシャルメディア" アプローチでは、"ソーシャルメディア" 上の個々人の動向や集合的傾向などに注意が払われても、"ソーシャルメディア" 上での人と人との "つながり" の "質"(コミュニティ度合いなど)については当面の関心事ではなさそうに見えるからだ。少なくとも現状においては......。
だが、企業からの "ソーシャルメディア" アプローチが真に奏功するためには、人と人との "つながり" の "質"(コミュニティ度合いなど)にこそ、より注意が払われてよさそうだと思われる。
そして、いざ、人と人との "つながり" の "質"(コミュニティ度合いなど)が注目され始めると、先ずは、基本的な事柄に目を向けなければならないかと思える。
それは、そもそも、ネット空間上のメディアにおける "人間関係" づくりに立ちはだかる "基本的問題" だと言ってもいい。
簡単に言えば、"人間関係" 上での<大切なものを置き去りにしてしまう>ような "落とし穴" がある、ということになりそうか。
この点に関しては、以前に書いた次の記事が参考となりそうだ。
<ホルモンの放出に関して言えば、インスタントメッセージは、直接の会話や電話での会話を補えるものではない ...... 母が何を言ったかということよりも、母の声自体(韻律学として認知されてきたトーンやイントネーション、リズムなど)に、癒し効果がある ...... >( やはりインスタントメッセージよりも直接会話が!Socialメディア考察にヒント!?( 当誌 2012.01.17 ) )
そこで、今回は、この辺の事情を改めて再確認しようと思い、以下のサイト記事を注目してみた。
"ソーシャルメディア" が、<「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」>という観点での役割を果たすためには、こうした事情を踏まえてかからなければならないのではなかろうか。
< 4.2 メディアの問題点Cohen 【 ※ 注 】らはメディアの問題点を上記のようなストーリーとしてだけでなく,箇条書きのかたちでも指摘している. まず,サイバー・スペースにおける 「出会い」 の弱点として,つぎの点をあげている.
●「身振りや顔の表情,感情,声の調子などが大幅に抑制されるか切り捨てられてしまうため,コミュニケーションの幅が非常に狭くなる.」
●「オブザーバーとしての参加意識が弱まる (物理的な集団のなかで発言しないメンバーと違って,オンラインでの議論に参加しないまま中止している個人は存在が忘れられやすい).」
●「物理的なミーティング場所を満たす予想外の光景や音は,特定のテーマや業務のために設定されたサイバー・スペースでは排除されがちであり,思いがけない発見を得る機会が少なくなる.」また,Cohen らはつぎのような指摘もしている. 「現在のテクノロジーの発展状況を考えると,仮想性には以下のように基本的な問題がつきまとう.
●仮想性を実現するためのテクノロジーはいずれも (今のところは),人々がソーシャル・キャピタルを構築していく際に使っている幅広いコミュニケーションの一部なりとも伝達できていない.
●仮想的なつながり (および私たちがそれに注ぐ関心) は,短く間欠的なものになる傾向がある. だが,長続きする社会的つながりやソーシャル・キャピタル構築には時間がかかるものである.
●仮想的なつながりは,明解で限定的な目的をもつものになりがちで (通常は,特定のテーマに関する情報交換である),参加者も意図的に選ばれ,限定されている. だが,社会的なつながりは,偶然の出会いや幅広い会話・おしゃべりのなかで育まれる場合が多い.
●電子メールやテレビ会議といった仮想的なコミュニケーションは,人々の関心を実際に自分の周りで起きていることから逸らしてしまう可能性があり,人々は事実上,「ここにも向こうにもいない」 状態になる.以上のような理由で,とりわけ豊かさや幅広さ,ニュアンスが失われてしまうという理由で,オンラインによるコミュニケーションは,「そこにいる」 ことと等価ではない」 (p. 262-263).
Cohen らはさらにつぎのような指摘もしている.
●「『ビーニー・ベイビー』 のウェブサイトでメッセージをやり取りする人々を 「コミュニティ」 と呼ぶのは,コミュニティという概念を格下げすることのように思われる. このようなグループには,コミュニティの特徴である,お互いの調整や相互性といった複雑な関係がほとんど欠落している」 (p. 260).
( ブログサイト 調査と解説 )
●「電話による会話には,ポストマンが求めていると思われる 「表情」 が欠落しているが,ほとんどの人は,それをリアルな会話だと思っている」 (p. 262).
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【 ※ 注 】Cohen, D. and Prusak, L., "In Good Company", President and Fellows of Harvard College, 2001, 訳書: コーエン, D., プルサック, L. 著, 沢崎 冬日, "人と人の 「つながり」 に投資する企業, ダイヤモンド社, 2003.
"ソーシャルメディア" は、"ソーシャル・キャピタル" という観点が注意を払うところの、人と人との "つながり" の "質" というポイントに、細心に意を傾けなければ、"画竜点睛を欠く" のではなかろうか...... (2012.01.23)
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