この環境をこのようにあらしめた原因は多々あるかと思われるが、いわゆる "直接会話" に取って代わった電話やケータイ(メール)、そしてスマホの普及が大いに関係していることは見逃せないであろう。
"直接会話" とメールや、スマホを介した "インスタントメッセージ" などとが決定的に異なる点については、以下のように書いたことがある。
<"親子(母と娘)" の実験によれば、《 ホルモンの放出に関して言えば、インスタントメッセージは、直接の会話や電話での会話を補えるものではない 》(下記記事)と結論づけられたという。...... 《 母が何を言ったかということよりも、母の声自体(韻律学として認知されてきたトーンやイントネーション、リズムなど)に、癒し効果があるということを示している 》...... "インスタントメッセージ" によるコミュニケーションを "不当に格上げ(?)" してしまうことはトンデモナイ錯覚なのかもしれない。>( やはりインスタントメッセージよりも直接会話が!Socialメディア考察にヒント!?( 当誌 2012.01.17 ) )
やはり、"ことば" というものは、"直接会話" が持つ固有の条件によってこそ担保されてゆくのではないかと考えさせられたものだった。
マスメディア、ソーシャルメディアを問わず、メディアを通しての "ことば" の在り様については、それぞれ特有の機能・役割があるものの、やはり "直接会話" との違い、 "差分(?)" から注意を背けてはならないのではなかろうか。
下記引用サイト記事(書評):ケータイ化する日本語 佐藤健二著 メディア通した「ことば」を考察/日本経済新聞/2012.08.19 では、この辺の問題意識、<メディア通した「ことば」>について考察されている。
そして、極めて興味深い "問い"、<そのようなことばを用いて公共的な社会を築くことができるのだろうか>という "問い" が提起されている。
<電話の進化と「ことばの衰弱」の深い関係 個人と個人を、いつでも直接つなげることができるケータイ。その爆発的普及の中で、「ことばの力」が衰弱し、他者との関係が薄らいでいる?! 電話の登場以降、知らぬ間に変わっていた私たちの言語空間――。「声」の獲得以後の人類史をふまえ、「社会」を担う次世代に説く「ことば」の歴史社会学。自分の「ことば」を自分の「身体」に取り戻すには。>(Amazon-内容紹介 )
<メディアを通じたことばが人の間を連鎖的に伝播(でんぱ)し、場合によっては政府も無視できなくなるほどの人々を動員する力を持った現代において、「メディアを流れることばで社会は築けるか」という本書の問いは、いちど真剣に考えられるべきもの>という指摘は、現状および今後の時代環境を考える上で、ひとつの確かな視点になりそうだと思われてならない......。
ケータイ化する日本語 佐藤健二著 メディア通した「ことば」を考察/日本経済新聞/2012.08.19
あらかじめことわっておくが、本書はタイトルから連想されるような「ケータイのせいで最近の若者の言葉遣いが乱れている」などというお説教を垂れる本ではない。そもそもケータイの話は後半になってやっと出てくるのだが、それまでずっと「ことばとは何か」「電話で話すとはどういうことか」といった原理的な話題が、生理学や哲学、歴史学の知見を参照しながら述べられているのである。
なぜそのような回りくどい説明をしなければならないのか。人によってはもう意識すらしないのかもしれないが、実はメディアを通して人と話すという行為は、非常に不自然なものだ。たとえば留守番電話で「メッセージを残してください」と言われても何を話していいかとっさには分からずにまごまごした経験が、誰にでもあるのではないか。あるいは、親元を離れて一人暮らしを始めたとき、ずっと一緒に暮らしていた親からの電話に、なぜか戸惑いを覚えた経験はないだろうか。
著者が「ことば」と「ケータイ」の間のぎこちない関係の先に見いだすのは、私たちは、そのようなことばを用いて公共的な社会を築くことができるのだろうか、という問いだ。確かに、今では高齢者でもケータイのメール機能を使いこなしている人は珍しくないし、スカイプのビデオチャットで孫の顔を見るのが楽しみという人もいる。だが一方で、ケータイの画面の向こうに広がるネットの「ことば」によって傷つけられたり、デマに踊らされたりする人がいるのも事実だ。ことばの重みは、目の前にいる人の発したものであるかないかということとは、無関係のものになりつつある。
著者自身が認めているように、ケータイを論じるには経験不足な面もあり、出てくる事例も最新の出来事とは言い難いところが多い。だが、メディアを通じたことばが人の間を連鎖的に伝播(でんぱ)し、場合によっては政府も無視できなくなるほどの人々を動員する力を持った現代において、「メディアを流れることばで社会は築けるか」という本書の問いは、いちど真剣に考えられるべきものであろう。
(社会学者 鈴木謙介)
便利なモノを便利に使うことは、現代人にとっての "特権" であるが、そのうちの聡明な者は、"何がバーターとなっているのか?" にしっかりと目を向けているようだ ...... (2012.08.24)
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