おぉ、いるいる、元気で泳いでる......。安堵感と満足感で満たされた瞬間だった。
橋の欄干から強い陽射しを照り返す川面を覗き込むと、川幅中央あたりの川面に小さな波紋を作り、首をもたげ、四足でゆらゆらと泳ぐ "その亀" の姿が見えた。
そのあたりは、最も深みのある川の中央付近だ。
ちょうど三日前、自分はその付近に "その亀" を "リリース" していた。やや乱暴かとは思ったが、川の両側は強い傾斜の護岸施工となっているために川辺には降りられなかったからだ。橋の欄干から手を伸ばし、川のその深みにドボンと落としてやったのだ。
今日あたりは漸く収まってはきたものの、今年の猛暑は尋常ではなかった。しかし、ただ暑がっていても始まらないと思い、逆に汗を流すべしと連日のウォーキングを欠かさないできた。
そんなある日、いつものウォーキングコースの途中で、実に奇妙な光景に遭遇した。
そこそこ交通量のある道路を横切り終わる寸前、足元を見て驚いた。車道に沿った側溝の連なる蓋の上を黙々と一匹の "亀" が歩いていたのだ。そいつは、彷徨うというよりも、歩道と車道の段差に沿いつつ、まるでどこか目的地に向かって急ぐかのように一途に歩いていた。
一瞬、自分の眼を疑ったが、途方に暮れる暇もなく、これは "保護" しなければクルマに轢かれるなり、熱射にやられるなり......、と憂慮した。そこで甲羅を掴み上げた。
手にしてみると、"その亀" はすぐさま頭と四足を甲羅の中に格納して "避難" 態勢に入ったものだ。こんな危ない場所を歩いていながら "避難" 態勢でもあるまい、と苦笑いを誘った。
15センチ×10センチほどの大きさであり、比較的若いようだとも思えた。何を考えての "ウォーキング" なのかなぁ、と訝しく思いつつ、それにしてもどこからやってきたのかがさらなる疑問となって湧いた。
自分がこれから向かうのは川に沿った遊歩道、それは100メートル足らず先の距離にある。しかし、"その亀" はその方向とは逆方向に向かって歩いてきたのだ。ひょっとしたら、何か事情があってその川からエスケープしてきたのかもしれない......。がこの際、その川へ "強制送還" してやる以外に手はなかろうと思えてきた。
"強制送還" 中、"その亀" はずっと "避難" 態勢の格好を堅持していた......。
川へ "リリース" した日の翌日、"その亀" のその後が気になって、ウォーキングの途中、橋の下あたりを覗き込んでみたりした。だが、何の気配もなかった。その翌日もまた......。
ひょっとして、乱暴な "リリース" のショックで可哀そうなことになってしまったのかという心配が脳裏をよぎっていた。
そんな経緯の三日目に "その亀" が姿を見せたのだった。
亀とて一日中泳ぎ回っているわけでもないのだろうから、自分のウォーキング時に橋の下で顔を出すというのは、むしろ "偶然" であろう。しかし、偶然でも何でも、それがうれしく思えた。これ以上のレスポンスはあり得ないと......。
「おじちゃん、どこのどなたかは存じませんが、その節はお世話になりました。お陰で、つつがなく過ごしています。
昔、昔のように、郷里の "竜宮城" へお連れしておもてなしができるというご時世でもなくなりました。なにせ、地球温暖化で海水温が上昇するは、原発事故で放射線汚染が広がるはで、"竜宮城" も大騒ぎなんです。それに、"玉手箱" という度が過ぎた謎かけの評判も良くなかったようですし......。
けれど、ただただ先日のお礼はしたいと思いまして、こうしておじちゃんの来られるのをお待ちしていたのです。本当にありがとうございました。そのうち、きっといい事があると思います......」
その後、川辺に転がる石の上で甲羅干しをする姿を何度か見かけることになった ...... (2012.09.22)
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